2015年4月16日木曜日

オーストラリア出身の歴史家が体験した東日本大震災

最近、FBなどからのブログへの転載で記事の数を水増ししている気がします。

「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 (ハフィントン・ポスト)
「オーストラリアに生まれ、日本に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。
2月下旬、澄み切った快晴の日。多賀城市にあるJ・F・モリスさんの自宅を訪ねた。
 「私は地元のガイジン。あるいは土着性の強い外国人です」と茶目っ気たっぷりに自らを語るモリスさんは、1974年に留学生として来日。東北大学で博士号を取得し、仙台出身の女性と結婚し、現在は宮城学院女子大学教授として、日本の歴史を研究しながらこの地に拠点を構えている。
「東北大で博士号を取って、宮城学院に就職して、女房は仙台生まれ。ここで子育てをして、子供はインターナショナルスクールには行かせずに、地元の保育所、地元の小学校。普通の日本人として育ててね。自慢じゃないんですが、ほぼ完璧なモノリンガル(日本語のみ)。共働きで、家に帰ってくると子供が『お腹すいたー』って。バイリンガルとか悠長なことはやってられません。普通の親と同じですよ」。
被災者として、外国人として、歴史家として、どう震災に向き合ってきたのか。東日本大震災について聞いた。」


こんな感じで始まります。すごくいいインタビューだった。引用したい箇所が沢山ある。
オーストラリア生まれで、日本人研究者と結婚した歴史学者が、被災について語っています。
あまり言葉の訂正・整理されないままの、いかにも生っぽいインタビューですが、その雰囲気が今回はとてもいい働きしてます。


「――地域との結びつきがあれば、正しい行動をする? 
そんな単純なものじゃない。仙台では留学生が小さな地元の町内会の避難所に密集したとか。中国人研修生が30人いるところで夜通し泣いてたから迷惑だと。そういうことが起こった時に対処する能力があるかどうかです。中国人研修生の場合は、避難所として指定された場所に、中国からの物資が入って、研修生たちだけで食べきれないので、近くの人たちに配った。そこで、「悪い人たち」が「良き人たち」に転換した。 
――ほんのちょっとの…… 
ほんのちょっとだけの差なんですよ。私自身、地元の人から「外人だ!」とか「どこから来たんだ?」って言われたことは一度もない。津波の後も、道ですれ違ったら、「ご無事でしたか」。それだけ。「お互い、無事でえがったね」って。
もしあなたが被災地にいれば、あなたは被災者。被災者とそうでない人しかいないんです。外人・日本人という差異は外から持ち込まれたものです。」

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