2016年2月9日火曜日

文化の輸出・紹介に関するメモ

なんかのレポートにでも使おうとして使わなかったメモと思われます。
以下、早速本文。



日本の文化政策に必要なのは、原理的な思考である。文化の輸出・紹介に関して、若い論者の間で二つの立場がある。ある立場は、クールジャパンとはいうけれど、単なるコンテンツの輸出ではだめで、日本人がその中で楽しんでいるところのプラットフォームと一緒に輸出しなければならないと主張する(宇野常寛・濱野智史『希望論』)。例えば、若年層に人気のある東方プロジェクトやボーカロイドは、ニコニコ動画というウェブ上のプラットフォーム抜きに考えられない(日本のファンの多くはこのサイトを通じ、それらに触れている)。それに対し、別の立場は、国内の消費の文脈、国内のイメージとは異なる仕方で国外では消費されうるし、それでよいと主張する(河野至恩『世界の読者に伝えるということ』)。河野は文学の紹介に不可避的に生じる「翻訳」の問題としてこれを取り上げた。両方の立場が、文化の輸出・紹介に対する構造的な洞察を伴っている。
 
奇妙に伝えられた日本文化を紹介するテレビ番組では、ウクライナの相撲強豪クラブを取材し、国内とは全く異なる相撲文化であることを揶揄的に明らかにした(彼らはレスリング的なトレーニングをしていた)。文化の典型である宗教、特に世界宗教が、たえずローカライズされるように、何らかの文化を輸出・紹介することには、常に、文化の「誤読」が伴っており、それを避けることはできない。ある文化のファンが増えるということは、その文化を誤読する者が増えるということである。冒頭に示した前者の主張は、そうした誤読に対する一つの態度だろう。しかし、特定のイメージしか許さず、特定のプラットフォームしか許さず、特定の文脈で消費することしか許さない文化は、狭量であり、豊かとは言えないのではないか。


短いですが、メモなので特に落ちもないようです。

0 件のコメント:

コメントを投稿