大学院生なので、いっちょ「教養ある読書」をしようかと最近は、ちくま日本文学全集(文庫・現代仮名遣い!)とか読んだりしている一方で、まぁ大江健三郎くらい読んどくか――と岩波文庫の『大江健三郎自選短編』を開いています。
(ちなみに、最近買った小説は、我らが先輩・森田季節の『ストレンジガールは手のひらで踊る』で、最近読んだ本は吉田秋生の『BANANA FISH』と辻村深月の『冷たい校舎の時は止まる』です)
というところで、大江健三郎が震災の節目に行った会見要旨があったので貼っておきます。
http://blogos.com/article/107525/
原発をどうにするにしろ(推進するにせよ、順次廃絶していくにせよ)、原子力に対する興味は失わずにおきたいところです。どっちに転んでも、原子力に関する知識は必要で、ますます技術を磨かねばならないことは確かですから。
辻村深月の小説がそうであるように、一つの胸を抉る出来事は、恐らく一生収束することがない。
http://www.asahi.com/articles/ASH2Q7QW4H2QUGTB00M.html
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震災直後、最も心打たれた文章は作家・冲方丁さんの「3・11後のSF的想像力 10万年後のSF」でした。被災当時の状況、避難の経緯、避難先での思いなど綴る中で、ひたすらにほとばしっているのは、「怒り」でした。具体的な誰かに対するものではない「怒り」。
「怒り」を持続させることほど難しいことはありません。
辻村深月の小説がそうであるように、人は忘れたがるようです。出来事は簡単に収束しないにもかかわらず。(まぁ、自分もそうなわけですが)
……と、辻村深月の話になってしまいました。
件のエッセイの雰囲気が伝わるインタビュー↓
「こんなんで原稿を書けなくなるのかと思うと許せなかった」作家/被災者 冲方丁<インタビュー「3.11」第10回>http://getnews.jp/archives/174349
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