文体上のラマダンとしての、リポグラム
西尾維新の『りぽぐら!』を読みました。
リポグラムノベルという言葉は、寡聞にして知らなかったけれど、要するに使わない文字を事前に決めて、その制約のもとで書くというものだった。
メフィストに書いてあった三作、「妹は人殺し!」、「ギャンブル『札束崩し』」、「倫理社会」の三つの短編を、それぞれ新しい制約をその都度設定して、4度ずつ書き直す(つまり、違う文体や語彙の下、同じ小説が5回展開される)。
制約は、縛るのでなくかえって飛翔させる――というような考えもありますが、今回は違ったかなと思います。
たしかに、「ノーリターン」とか、よくわからない語彙がぽっと飛び出したり、西尾維新らしからぬ言い回しが出てくるところは面白いのかもしれません(ぶっちゃけ、自分は信者と言っていいくらい西尾維新の小説が好きなので、それだけでも満足です)。
とはいえ、そういう微差がクリエイティブだとは思えないのですよね。創造性ってそういう話だったのかなーと。例えば、擬古文的な文体のやつもあるんですけど、「けり」とか連呼しててあほっぽいんですよね。詠嘆の感覚を伴う語句なので。
西尾維新って、すっごく頭のいい人だと思うんですけど、あまり勉強熱心じゃないんだろうなと思った次第です。高校時代は古文が好きだったという程度の人であっても、制約の下で、もっと色々いい古語がぽんぽん出てくるんじゃないかな。
現代語でも古語でも擬古文でもない気味が悪い文体みたいに、読みにくさだけが際立つものにならなかったのではないかな。
もう少し感想を一般化すると、実験小説――と言えば聞こえはいいものの、実験的というより実験に付き合わされている気になることは確かだと思う。結局、5回繰り返されるけれど、元のやつが一番いい。毎回展開かオチを少し変えてくれると、また違ったんだろうけど。
しかし、あとがきの言葉は印象的でした。(ちなみに、もちろんあとがきも繰り返し、新しい制約の下で書き換えられています)
文章を書いていて割りと思うことは、何と言ってもその自由度です――言いたいことが言えないということはまずないというか、たとえ現実には存在しないものであっても、言葉の上では何でも言えるというのがエキサイティングです。『りぽぐら!』p.242
これを読んで少しわかった気がします。リポグラムノベルを経由して、西尾維新が体験したかったのは、自分が普段使っている文体の外にでることではない。
そうではなくて、彼は文体上の「ラマダン」がしたかったのではないか――もちろん、自分にとって新しい語彙や文体の発見が目的でなかったと言いたいわけではありませんが、空気のように存在する前提を再確認するような儀式だったのではないかと思うのです。
小説家の新城カズマさんは、ある対談でこんなことを言ってます。
でも、そもそも地の文って本当に小説に必要なのだろうかとか、もっと極端なことを言うと、不可逆的な時間を前提とした物語なんてものは「語る楽しさ」「語りを消費する楽しさ」にとって本当に必要なのだろうかと。……最近は自分にとって空気のようにあった前提をわざと一つ一つ疑うようにしているんです。『コンテンツの思想』p186そうすると、リポグラムノベルを書くことも、あるステージまできた小説家――いや、もっと広く物語作家というべきでしょうか――が、自身の創作手段の前提を疑ってみるというイニシエーションの、西尾維新なりのありようなのではないかと思えたりします。
いや、物語シリーズの「怪異」なんて、フィクションの謂ですから、暗にずーっと西尾がやってきたことなんですけどね。
そういえば、リポグラムについてググると、ある文学グループが出てきた。数学者が設立したもので、レーモン・クノーやレーモン・ルーセルを理想とし、シュールレアリスムに影響を受けているということから、色々なんかわかった気がします。
個々の作品は短いし面倒なので、内容については触れないでおこうと思います。
とはいえ、一点だけ。
「倫理社会」のオチが、愚行権や「野蛮な未開人」(『すばらしい新世界』)みたいな話とも、タックスヘイブンみたいな話とも違って、「たった一畳」にすぎないところがミソだよなと思います。彼の手に入れたものから、距離をとっているような、とっていないような……絶妙ですよね。冗長なので、もっと短くしてほしいですけど。
漫画好き・イラスト好き的には挿絵の執筆陣だけで、もうご褒美でした。
重野なおきさん、たえさん、田中相さん、中村明日美子さん、久米田康治さん、雲田はるこさん、PEACH-PITさん、pomodorosaさん、……あーもう、最高でした。
むーっちゃ漫画やイラスト好きな人で、西尾維新が嫌いじゃない人は買いです。
西尾維新が好きな人も買いです。
それ以外は……どうだろう? まぁ、言葉の戯れが嫌いでないなら。
なお、このブログはリポグラムで書かれているわけではありません。
追記。著者インタビューがありました。日本語における「ぬ」の使用頻度が低すぎる、というのはちょっと笑ったぬ。
0 件のコメント:
コメントを投稿