2012年12月17日月曜日

『エーコの文学講義』――エーコから開かれる、読書についての読書の森

     

ウンベルト・エーコとは……ウンベルト・エーコ(Umberto Eco、1932年1月5日 - )はイタリアの記号論哲学者、小説家、中世研究者、文芸評論家で、ボローニャ大学教授、ケロッグ大学およびオックスフォード大学名誉会員。 北西部のアレッサンドリア生まれ。エコ、エコーの表記も見られる。現実の事件に啓示を受け、小説の執筆を開始。(以上、wikiより丸パクリ)

『エーコの文学講義―小説の森散策』は、ハーヴァード大学ノートン・レクチャーズのために彼が書き下ろした講義草稿を下に成り立っている本。これは『前日島』という本の執筆と同時並行だったそうです。
だからこそ、彼の言葉を借りれば、「小説を書く中で頭を悩ませた問題の多くがこの講義草稿のなかに流れ込んだのか、それとも小説の作成が講義草稿に影響されたのか、どちらか判然としない」のだそうだ。実際、前者を読み終えた後に、『前日島』を読むと、変な感じがした。

まぁ、とりあえず目次。

日本語版序文
1 森に分け入る
2 ロワジーの森
3 森のなかの道草
4 可能性の森
5 セルヴァンドーニ街の奇怪な事件
6 虚構の議定書(プロトコル)
註 訳者解説 索引

講義はイタロ・カルヴィーノの言及から始まる。岩波文庫化されている『アメリカ講義―新たな千年紀のための六つのメモ』、これはノートン・レクチャーズで彼が行うはずだった講義草稿だったりする。これもすごい変で、章が「速度」とかだったり、面白い。
(そういや、年末で、黒子のバスケ然り、色々話題になっているコミケですが、イタロ・カルヴィーノといえば、『レ・コスミコミケ』をなんとなく思い出します。)

第一回では、イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』『物語における読者』の相互補完性とか、カルヴィーノとの私的なやりとりの紹介もあったりする。
カルヴィーノは実際ちゃんと読んだことがないので、これを機会に読みたくなりましたね。

面白い概念としては、「モデル作者」と「モデル読者」がある。エーコは、「モデル読者」と「経験的読者」を分ける。同様に、「モデル作者」と「経験的作者」も。
モデル読者とは、ざっくり言えば作者の物語に乗っかれる人間という感じでしょうか。よい読み手と言ってもいいかもしれません。
モデル読者も、初心者と中級者の二通りあるとエーコは考えています。
もっぱら作品の結末に関心を寄せるのは前者、「物語が要請しているのはどんな読者かを自問し、モデル作者の戦略を発見したいと願う読者」というのが後者。
あとがきにも引かれている、本文の言葉を再引用すれば、「モデル作者を認識するには、繰り返し読む必要があります。物語によっては際限なく読み返さねばならないでしょう。一方、経験的読者たちはモデル作者を発見し、モデル作者にもとめられているものを理解したとき初めて、まぎれもないモデル読者になったと言えるのです」(42ページ)

エーコの考える読書、森の散策とは、モデル作者とモデル読者の協同なのです。
この「繰り返し読む」という点、そして本書の『エーコの文学講義』というタイトルから、ウラジミール・ナボコフを思い出す人もいるでしょう。
日本では、『ナボコフの文学講義』として、親しまれています。
しかも、来年、河出文庫から上下分冊形式で、『ナボコフの文学講義』が出されるそうですよ。
関西クラスタ座談会で触れた(アニメルカではカットされた)話ですが、再読論が面白いのです。書籍の決定的な制約だと考えられている、単線的な構造(前から読んでいくしかないということ)についての考えです。
それこそ、村上裕一さんの『ゴーストの条件』で、『クォンタム・ファミリーズ』論のさなかに持ち出されたのは、まさに読書に不可避と考えられがちな、単線的な構造でした。
しかし、ナボコフはそれをするっと回避してみせます。再読によって、単線的な構造を脱し、本を絵画的に把握できるようになる……と。
この辺りの問題は、G.E.レッシングの『ラオコオン―絵画と文学の限界について』(岩波文庫)にも直ちに繋がっていく話です。


色々書こうと思いましたが、面倒なのでやめときます。ストップウォッチを使いながら、読書における速度について考えたり、あるいは読書に関する3つの時間概念を使って、読者と読書(世界)の関係について考えたりと、わかりやすくて読みやすい(訳もいい)し、面白い。
ウンベルト・エーコ入門としても最適かなーと思いました。
けれども、これをわかりにくいと感じた方は、現代思想の冒険者たちシリーズで出ている『エーコ―記号の時空』(篠原資明、京大の先生)を読めばよいかと。ナボコフの『ロリータ』を訳した若島正さん然り、京大の文学系は熱いですね。あと、ナボコフ―ロリータと来ると、リチャード・ローティのナボコフ論!!!なわけですが、ここではカット。『偶然性・アイロニー・連帯』でも読んでください。

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