色々あって、色々考えている私ですが、忘れそうなのでまとめておきます。
このエントリを読む方は、基本的には、ボカクリの中の人の一人が書いているのだという目線で読んでもらえばいいのではないかと。
MMDerの方とか、マッチョな見る専の方は、ツッコミ・補足頂けると嬉しいです。
以下の二本立て。
○MMD初期の頃、ボカロから拡散していくMMDについて
○MMDについてのある特徴――現実の再現、無生物、非現実
P8「キャラクター表現の現在」読書会レジュメ代わりというエントリも併せて見てください。(前半は、これの焼き直しです)
この「キャラクター表現の現在」の中で、批評家の村上裕一さんはこんなことを言っています。
「『ゴーストの条件』でMMDの話を展開した際に面白いと思ったのは、ミクから始まった、MMDという表現形式がミクを必要うとしなくなった点なんですよ。言ってみれば、ミクが貨幣のような存在になって、誰もがその根本的な重要性を意識しないけれど、現実に世界を回していくようになったということです。」(『PLANETS 8』p.142)
この後で、この裏面にある危惧も述べられているけどカットカット。
『ゴーストの条件――クラウドを巡礼する想像力』でも、MMDが結局、全てのニコ動のコンテンツ(群)、とりわけ御三家の受け皿になっていて、強靭なプラットフォーム化している的な話とかもされていました。(うろ覚え)
でも、そいつは本当か?
印象ちゃうんか、と。割りと初期から、アイマスとか重なってたんじゃないの?
と思った私、調べました。
アイマスは、プレイ画面(ライブ中)が、MMD的なポリゴンなので、そういう印象が強かったのかもしれません。
・MMDの変化――MMDの受容短史
樋口優さんの投稿動画(08年2月末)
→最初はツールを触ってみたもの、踊らせてみたものが多い。
現実への重ねあわせ、人間と一緒に踊る。元々踊っている映像に重ねる(ハレ晴レユカイの多さ、ダンス系のEDとかとの重ねあわせ)。ラジオ体操や、街の映像に重ねるもの、ニコ動に流通しているネタの再現。アイマス曲を踊らせているもの、アイマス映像との重ねあわせがかなり多い。
→次第にドラマ、PVも増えてくる。他モデルは、出てくるのも遅いし、少数(例えば、謎のズゴック?✕ハレ晴レユカイは8月)。最初はミク、リンレン辺りのモデルばかり。
08年7月、MMD杯第一回開催。MMDのランキング動画開始も8月。10月には、MMD体育祭第一回(第三回まで)。
最初期のMMD✕アイマス「テスト やよいヘッド」(08年8月25)/リンがやよいの被り物を被ってる。東方はゆっくりがにとりの唄を踊ってるものが09年の2月に投稿されている(「東方MMD」タグでも最古だから、これが恐らく最初のMMD✕東方)。モデル配布文化が根付き始めたのも、8月末辺りから(「MMDモデル配布あり」タグ参照)。
それ以降、段々浸透していくが、ボカロも含め、モデルの拡張の前線に誤算家がいたのは興味深い(『ゴーストの条件』での、ののワさん、たこルカ、ゆっくりは重要なテーマだ)。
※ツールとしていじって楽しんでる/手探り(「MMD体育祭」開催はその両面の表れでは)。
※モデルの拡大の前線には、単純なもの(デフォルメされたテト、たこルカ、ののワさん、ゆっくりなどの御三家)が常にいた。
※他の御三家と本格的に交わり、受け皿となるのは、09年2月辺り(丁度解説動画投稿から一年)以降。
※MMDのアップデートや改変との関係は、見る専的には不明。
こんな感じでした。
ざっくり言えば、ののワさん、たこルカ、ゆっくりは、クラスタ貫通的な想像力を持っているという議論が『ゴーストの条件』ではされています。
けど、実際の所、Softalkや棒読みちゃんという声を持つことのできた存在は「ゆっくり」だけであり、「強い貫クラスタ的想像力」があった存在は、ゆっくりだけだったのかもしれません。
(これは、このエントリの「御三家と声」について書いているところ参照)
・MMDの特徴―現実の再現/無生物/非現実
MMDの特徴とはなんでしょうか。MMDにしかできないこととはなんでしょうか。
現実の再現についても、MMDerの技術向上で、MMDの主要な特徴、可能なこととして、無視できないものになったなぁと思います。
第9回MMD杯で、Mitchie Mさんが選んだこちらの作品などは、その極地ではないでしょうか。ここには、非現実だからこそ託せる現実があるように思います。
ミクにだから、歌ってもらえる詞や、メロディがあるように、MMDだから託せる風景、とでも言いましょうか。
こちらは、祈りというほど大仰なものではありませんが、笑顔になる「現実の再現」だと思います。こちらもMMD杯、第9回より。
無生物と非現実、という観点もあるのではないかと思います。
この辺は、ポン酢の「キュポン」という音とかを使った柚子音ぽんや、フミキリを使ったフミキリーネ・クワンとかを生み出したUTAUの発想に近いものがあります。というか、こういう想像力すら受け止めるのがMMDです。フミキリ―ネ・クワンのモデルも、ばっちり配布されているのは御存知の通り!
とりあえず、この動画でも見てください。こちらは、UTAUですが。
無生物というものを、もう少し詳しくみてみると、非人間とモノ(物自体)があると思います。
非人間は、上に述べられているような、ののワさん、たこルカ、ゆっくりをも含みこむものでしょう。ぷちます!のキャラも、実際どうでしょうか……非人間にカウントされてもいいかもしれません。
非人間――あるいは〈クリーチャー〉でもいいですが、これというと、またまた第9回MMD杯で、尻Pが選んだ動画を思い出すといいかもしれません。
この動画は本当にすごくって、妖精的なものから、奇怪なもの、醜悪にすら近いもの、それからモノ自体(机?)をも並べ立てて、絵本のような構成を作っているんです。恐怖と、感動と、不思議な懐かしさと……その配分も絶妙でした。
こちらも、非人間ないしクリーチャー的な感性を効果的に担いうるMMDを象徴する動画として挙げられると思います。↓
以上が非人間への愛着でした。まだ触れていないモノへの愛着とはなんでしょうか。それって、フェティシズムのことですよね。例えば、これはそれがすごく現れていると思います。現実の再現の裏地として出てくる特徴かもしれません。例えば、トウナステイションの映像にも、モノへの愛を感じますから。
非現実を担うMMDとしては、以下の2つを挙げれば、言いたいことの全てが伝わる気がします。
(なんで第9回MMD杯なのかというと、この時は時間があって、マイリスしている動画の数が他の回に比べて多く、サンプルを発見しやすいからです)
現実の人間には不可能な動き。クリーチャーの不可解な動きということで言うと、ホメ春香のlove&joyとか楽しいですよね。
ぷちます!のごとき、へちょマギ。尻Pが選んだ動画だったような。見るだけで楽しい動画ですね。自分は何回も見ました。魔法のようなエフェクト、ドライブ感――これらは、あくまでも非現実に属するものでしょう。
……という感じで、いくつかの特徴をまとめてみました。
現実の再現、無生物(非人間とモノ)、非現実。
現実の再現、再現であるからこそ託せる思い。
非人間―クリーチャーへの興味、愛着。モノへの愛着としてのフェティシズム。
エフェクト、動き、流れ、空間、現実を再現することも可能なMMDが不可避に帯びる非現実の色彩。
そういえば、モノについては、フミキリ→フミキリーネ・クワンみたいな感じで、そこから擬人化まではすぐですね。
クリーチャー惑星の机みたいに、擬人化を伴わないクリーチャーの方が少ない気がします。
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はじめまして、朝永ミルチさん。笠部 藍海と申します。ボカロ音楽に関する評論は、『ユリイカ』の初音ミク特集号に代表されるように「ある程度まとまったかたち」で存在していますが、 MMD に関する評論はまだほとんど存在していないようです(ひょっとしたら、わたしが知らないのだけなのかもしれませんが)。そのような中で、朝永さんのこの記事はかなりおもしろく読むことができました。
返信削除とくに「非現実だからこそ託せる現実」という表現は、ひじょうに的を射た表現です。もし、しーさいどさんの『トウナ ステイション ~或る日常の風景~』と同じ内容を実写で表現したとすれば、「非現実があまりにも現実的すぎて正視できない」ひとがいたのではないでしょうか。「ほどほどに非現実を混ぜる」ことによって、なんとか正視できるぎりぎりの限界点、それが「非現実だからこそ託せる現実」の正体である、とわたしは考えています。そして、それだけすぐれた作品だからこそ観光庁の目にとまったのでしょう。
そして、わたし自身も MMD で動画を作っています。よろしければ、ご覧ください。 http://www.nicovideo.jp/mylist/29942044