ラルース辞典では、「ツーリスト=好奇心と無為から旅行する人で、女性系はほとんど使われない」とし、リトレ辞典の定義を注解しながら、その本質を「無為に過ごすことであり、旅行の楽しみのためにしか、ないしは旅行したと自慢するためにしか旅に出ない旅行者。……飲んだものはもっと飲むだろうということわざがあるが、旅行したものはもっと旅行するだろう。純粋な旅行者は過ごしやすい季節になると、渡りの季節に鳥たちが抱くのと同じ不安を抱く。彼は発たねばならない。どこでもいいからとにかく行かねばならないのだ。燕が戻ってくるのと同じように旅行者がアルプスやピレネーの長い坂を上るのが見られる。毎年彼らの数は増加し、その結果、彼らはいつもの出会いの場所の様子を一変させてしまうにいたる。実際、旅行者の行くところどこでも宿屋が必要であったが、そこでは、多少なりともスコットランド風のもてなしが旅行者を待ちかまえているのであった。例えばスイスでは毎年増加し、だんだんと標高の高いところに建設される宿屋はついにはきわめて急な峰にまで建てられるようになった。宿屋はテーブルを置いて焼き串をまわすのだが、その場所というのは10年前に羚羊(シャモア)がまったく安全ななわばりだと信じていたところなのであった。言わを砕き、切り通しを作り、急流の上に張り出した言えを作り、どんな山腹にでも言えを貼り付けた。住民たちは全員ひとつのことしか頭になかった。旅行者に飲食を提供することである。」
自分が制作した同人誌「都市のイメージ、イメージの都市」(電子書籍版発売中!こちらをクリック!)の旅行記の前文で触れた、「観光地の郊外化」の現象は、このラルース辞典の記述を信じる限り、18世紀にも見出だせるらしい。
ただ、啓蒙主義的な「旅行」理解とか、単なる「旅」との区別は、ラルース辞典においても、どの程度なされているのかは不明。
引用はマルク・ボワイエの『観光のラビリンス』
その内、最近読んだ観光学関連書籍の中で、ためになったものはガイドブック的に紹介しようかな。読みたければ、コメントかリプライで、一声おかけください。
この『観光のラビリンス』は大変な労作で、読むのも骨が折れるくらい。訳者もそのことにすごく気を遣っていて、訳注が膨大すぎるくらいに膨大。
基本的には、旅行行為が、マスツーリズム化し、ポストモダン化していくのを、ソースタイン・ヴェブレンの『有閑階級の理論』の肩を借りつつ説明している感じですね。
ヴェブレンたん |
ヴェブレンさんも、なかなか食わせ者で、面白いことを沢山言ってますよね。某柑橘さんなんかに、ファッションのこと聞いた時もヴェブレンの名前が出てきて驚きました。
訳者あとがきにも書かれていることですが、「普及学」みたいな領域があるようですね。ファッションでもそうであるように、観光でも同じように拡がり、多様化していくことが確認されます。
流行理論のヴェブレン以外での話で言えば、この論文、結構面白かったです。まだ読んでる途中ですけど。
ル・ボン、タルド、ジンメルにみる流行理論の系譜
ざっとメモがてら書いてみました。
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