COMIC ZINで配布されたペーパー。 |
四季賞出身者です。それで、この『ゴーグル』に収録されている、表題作「ゴーグル」が受賞作品でもあるわけです。
いずれにせよ、豊田徹也については、「アフタヌーン作家」と言えば、分かる人にはわかりやすいかも。
まぁ、明確に(話や絵からしても)谷口ジローの系列に入る作家だと思います。彼自身も、谷口ジローから影響を受けたと明言しているくらいですし。
そして、豊田徹也のどの作品も、谷口ジローが絶賛しているのがわかる。最初の単行本である、『アンダーカレント』にも、谷口さんは帯文を寄せていましたね。
谷口ジローについては、最近で言うと、漫画版『孤独のグルメ』を描いている人、と言えば通りがいいかもしれませんね。
豊田徹也さんの、『珈琲時間』に寄せて、レビューまがいのコラムを書いた(NETOKARU)こともありました。
※現在サイトが閉鎖されみることができません。
このレビューのポイントは、大体以下の3点でした。
- 紅茶でもなく、ハーブティでもなく、珈琲であることに意味がある
- 話の構成において、カオスと生活感が同居していること/その交点にある物語が収集されているという特異性
- 珈琲がある時空間であれば、珈琲でもって共有する時空間であれば、なんでもよいというフックのラフさの魅力
必然性はないのだけれども、それでも、珈琲が選択されていることの意味合いを、別の観点から伝えるために、高野真之さんの『BLOOD ALONE』のセリフを引用したりもしました。
ちなみに、豊田徹也はウィキペディアにちゃんと項目があります。熱心なファンが一定数いるおかげですかね。自分の周囲にも、豊田徹也スキーがいたりします。
さて。問題の、『ゴーグル』です。
出版されたのは2012年10月23日。去年の、冬に片足かかったような寒さを感じる頃でした。
アフタヌーンの公式ページの謳い文句は…
下手くそかっ。まぁ、その通りなんだけど。
「アンダーカレント」「珈琲時間」というロングセラーを生んだ豊田徹也はじめての短編集。単行本未収録だった表題作、ファン待望の『ゴーグル』ほか、月刊アフタヌーンにて発表された、感動あり、笑いあり、そのどちらでもない微妙なものありのバラエティー豊かな中短編が楽しめます!
例のごとく、目次から。
- スライダー
- ミスター・ボー・ジャングル
- 古書月の屋買取行
- 海を見に行く
- とんかつ
- あとがき
個人的に好きなのは、「ゴーグル」と「とんかつ」でした。豊田徹也の描くおじいさんと、胡散臭い人間って、どうしてあんなにかっこいいんでしょうね? あと、豊田徹也の描く女性は、「眉目秀麗」といった感じで、かっこよくて美人です。
ちなみに、「あとがき」は、あとがきというより、著者解題風の「あとがたり」でした。
小学生じみた感想はさておき、表題作の「ゴーグル」とその前日譚「海を見に行く」について。
あとがきで、「今にして思えば、認識が古い」と筆者は語っていますが、私はそんなことはないと思う。古くて新しい題材だった。
物語の中に、暗く差し込む題材のひとつに、体罰/虐待があることは否定できないでしょう。
しかも、それは、昨今取りざたされているテーマでもあります。
一応「取りざたされている」例を挙げておくと↓
「〈大阪・高2自殺〉体罰の暴走、止まらず 顧問の『王国』で」(13年1月13日、毎日)
「体罰教師、18年間異動なし。市教育委員会方針から逸脱」(13年1月10日、産経)
「大阪・体罰自殺。保護者『僕らの頃はもっと厳しかった。親の責任だと思う。先生は頑張って。応援します』→保護者ら、拍手」(2chのまとめサイト)
変化球というか、失笑モノではこんなのも。
長嶋一茂ビンタ擁護論「これで一斉に廃止したらどうなっちゃうのか」(13年1月11日、JCAST)
内田樹が、自分の個人的な体験でもって就活とか語っちゃってるのとおんなじですね。
内田樹の「就活についてのインタビュー」(13年1月12日、BLOGOS)
こうした暗澹たる言説・報道の中、一筋の光のように感じられたのは、やまもといちろうさんの文章です。
やまもといちろうさんの記事「体罰と教育」はとても興味深いものでした。
ここでは一部だけ引用しますが、ぜひ本文を読んでみてほしいです。
なぜ体罰が行われていて、その体罰が果たしていた役割というものを見極めたうえで、体罰をやめたあと別の方法でその役割を担わせなければ、教育現場が荒廃するだけかもしれません。広い心で学生自身の更生を見守る、という経験は、私自身が類マレなラッキーを持っていたからであって、本当に前途有為な子たちが自ら死を選ぶことが一件でも減るようにするためには、通り一遍の体罰禁止とは違うところに解決策があるのでは、と感じざるを得ません。
荒れているとされる高校がなぜ荒れてしまうのか、体罰をしなければならない理由など、さまざまなものが語られずに残されている気がします。また、教師を含めて教育の現場がもっときちんと声を上げられ、何か子供がやらかすたびに画一的に教師の責任とされてしまうことのないような報道になるといいな、と思います。それは、叩いて子供を育てた時代からの決別を、叩かれて育った親による家庭と叩かないと規律を守れない教育現場と双方が取り組まなければならないことです。そして、家庭にとって学校へ躾の至らぬところを押し付けてはいけないことでもあります。
体罰と教育、といえば簡単なテーマなんでしょうが、これは「社会の尊厳」の問題だと思うんですよね。あるいは「出来の悪い子と社会の向き合い方」。
簡単じゃねえぞ、これは。
問題を見据えながらも、不安や怒りを抱きながらも、でも決して安易な言説には乗っからず、わかりやすい議論になんか乗っかってやるかという意気が感じられます。
わかりやすい責任論や、問題を無化するような言説を脇目に見ながら、なんとか希望を語ろうとするこの姿勢は、実のところ、『ゴーグル』の具体的なセリフにストレートに見出すことのできるものでもあります。
体罰を受けているひろ子の、母方の祖父(作)が、友人のやっている焼き鳥屋で二人、語らう場面(pp.161-163)です。
長くなりますがすべてを引用してみます。
「その後、孫はどうしたい? 元気でやってんのか?」
「いや、相変わらずだな。学校にもあまり行ってねぇみたいだ」
「アレかい。母親は相変わらず厳しいのかい」
「そうみてぇだな。身体にいつもアザ作ってる」
「作さんが言っても、収まんねぇのかい」
「何度も言ったんだが、その度に『お父さんにそんなこと言える資格があるのか」ってな。俺も昔は言うこときかせるのに娘のことひっぱたいてたからな」
「でもよォ、子ども躾けんのに、親がひっぱたくのはしようがねえんじゃねえか? 俺らだってそうやって育てられたんだからよ」
「……俺もそう思ってたんだけどさ。今思い出しても、俺は親父のことなんざ好きじゃなかったし、殴られて育ってきたことをありがたかったとも全然思えねえんだ」
「まァなァ、昔の親は厳しかったからなァ。でも話してわかんなきゃ手ェ出すしかないだろ」
「この年んなって思ったのはさ…。ありきたりだけども暴力じゃあ結局何も解決しねえんだな。昔は何キレイ事言ってんだって思ってたけどよ。やっぱし何も解決しやしねえよ。
一回ひっぱたいていうこときかせるだろ。その内一回じゃ効かなくなって、2回・3回と増えてくんだ。それがだんだんと5回・6回・10回・15回……。
そうなりゃやってる方も、やられてる方もマヒしちまって、なんの為にひっぱたいてたのかわからなくなっちまう。
最初の1回・2回が効き目があるんで、ついそれに頼っちまうんだなあ。
話し合えばわかるとも思っちゃいねえけどよ……。
そういうことを面倒くさがって、手っ取り早く力ばっかり使ってると長い目で見りゃ、どんどん悪い方へ行っちまうんだな……」
これは、「ゴーグル」の一幕。「描き込みが細かい」タイプの作家と言えば食指が動く人もいるかな? |
こうして書いておきながら、これに付け足して、何か言いたいという気分には、どうしてもなれません。
代わりに、読書中になるほどと膝を打った話題を、ここで紹介することにします。
それは、自明視されている「児童虐待」なるものが、いかに社会的に構成されてきたか、どのような歴史的偶然によって成り立っているか、という議論でした。
ネタ本は、イアン・ハッキング『何が社会的に構成されるのか』。
記憶とメモを頼りに書くので、細かい点は間違ってる可能性もありますので、ぜひ気になった方は直接本を当たってください。
歴史上、最初に、「児童虐待」や「児童への暴力」が問題化されたのは、ヴィクトリア朝の時期です。ヴィクトリア朝では、諸々の社会改革が行われることで知られています。
しかし、一連の改革において、児童虐待は「最後に」提案されました。
児童雇用に関する工場法、禁酒、選挙権拡大、反生体解剖、動物への残虐行為反対……の後に登場したのです。
現在は、最も生理的に嫌悪感の抱かれるタイプの話題なので、すごく意外な感じがします。
しかし、問題化されたこのときでさえ、「児童虐待」の内実は、現在のそれとはかけ離れたものなのです。
試みに相違点を列挙することにします。
- ヴィクトリア朝期には、「貧しい人が子供を傷付ける」とされた。つまり、児童虐待は階級特有のもの。
- 「子供への残虐行為」を、「嫌悪」したり、何を差し置いても「恐怖」し、「非難」すべきものとして考えていない。
- 現代は、医者の制御する領分になっているが、かつてはそうではない。
- 子供への性犯罪は、法廷で扱われるけれど、「子供への残虐行為」には分類されず。しかも、別法廷。
この結社は、動物への残虐行為に反対していた人道協会に「付属する会」として結成されたことは注目していいと思います。
そのあとは、色々あって、すっ飛ばすと……
1960年頃、コロラド州のデンヴァーにおける、小児科医の提案によって、「児童虐待」が、ある行為や行動を記述し、分類する方法として使われ始めます。
この時はまだ、「児童虐待」に、性的虐待は含まれていませんし、外傷がある虐待を問題化したものでした。限界はあったのです。
こんな感じで、「児童虐待」という概念の歴史は、現代から見ると、かなり意外な経緯をたどっているわけです。
かなり端折った紹介なので、気になった人は、イアン・ハッキングの『何が社会的に構成されるのか』の第五章「種類の制作」を見てください。
0 件のコメント:
コメントを投稿