2013年11月4日月曜日

【同人誌の感想をもらうのは】 同人誌invertの感想 【売れるより難しい問題】

invert vol.1の感想を言おうの回。
invertという評論同人誌については、ここを見ればわかるはず。

まずはかみにゃんのから……と行きたいけど、経緯もメモがてら。


invertという評論同人誌を作っているfrom H(というグループ)のアカウント?の、このツイートを見て、思わず以下ようなツイートをしたので、「先ず隗より始めよ」と、感想を言うことにします。
なんか全体的に先輩ヅラっぽくて超絶消したくてたまらない文章になりましたが、まさに今立っている身としては、先輩どころか、invertを書いている人たちと肩を並べて勉強している立場なので、自己(事故?)対話に近いのだと思いますがががが……


https://twitter.com/mircea_morning/status/396610833209229312
https://twitter.com/mircea_morning/status/396611724553375745
https://twitter.com/mircea_morning/status/397016664815849472


なにかを「やってみる」ことについて



言説が誰に届くのか、誰に向けての言説か問題についての「正しい」回答は、恐らく『ミニコミ2.0』などで(宇野さんと仲が良かった頃の)あずまんが、部数を出すことなど各種のことを言っていて、それに全面的に同意します。

(既に黒歴史になってるけど)都市をテーマに『都市のイメージ、イメージの都市』という評論《も》ある同人誌を作った(データ販売してます。最近安くしたのでぜひ。)ことがあるので、それも込みで言えば、何かを始めるということはそれ自体圧倒的に支持されることだと思っています。

稚拙さとか、粗とか、届くかどうかは、一旦置いてもいいかな、と。若いことになんでも下駄を履かせるべきだとも思わないし、履かないで高圧にもまれて、ある種のアカハラ(=教養主義的な意味に限って)を受けて、定期的に打ちのめされるくらいがちょうどいいのかもしれない。

でも、やはりなにかを「やってみる」という経験はとても大事で、ものを作った経験のある人なら、そのことに同意してくれると思います。
《言葉》に関して読むけど何も言わないことは、《絵》において見るけど何も描かないことに似ているのだと思います。



小説を書くことができる能力はあって何も書かないことと、小説を書いてみることは天と地ほど違う。
頭の中にイメージを持っていてきっと絵にもなるだろうことと、絵を描き上げることは月とスッポン以上に違う。
存在しなかったものを存在させるということは、その制作物・製作物の、巧拙やプレゼンス、効果の大小に関わらず、決定的に大きい。

J.デューイが繰り返し述べるように、教育や学びでは、経験が決定的に重要だし、経験は単独で存在しないので、意義深い経験であればあるほど、その後の経験(の仕方・あり方)を決して同じものにはさせない。

新著が出た千葉雅也さんが、『動きすぎてはいけない』の出版前に、「いつまでも書き換えたくなる、手を入れ続けてしまう、どこかで妥協しないと」とツイートしていたことがありました。ちなみに、退官寸前のうちの大学の教授も似たことを言ってました。研究者・アカデミシャンですらそうなのだから、打ち出した自分言説が、完璧でないことを恐れて何も言わないでいる必要はないのだと思います。
(自分自身、数週間ペースで自分の文章を黒歴史に感じてしまうけど、過去の言説はなかったことにできなくて、恥ずかしいやら辛いやら……ですが、そのおかげで、それなりのペースで走ることができているのだと思います)


元も子もない言い方をすれば、(作った経験からして)めっちゃ製作過程で本を読んだり勉強したり、議論するので、「焦り」が出るんですよね。笑
あと、作り上げてから、自分の書いたことをもっと簡単に言えるなって思ったり、ピントがズレて見えたり。。。
その後悔自体も、学んでいく原動力になる。とても意味があることだと思います。


だから、目標の方向性としては、これくらいが丁度いいのかもしれないとは思います。
事故のように知りもしない誰かにはできるだけ沢山届けること。
そして、知っている人には共感以上のものを感じさせること。
(全然論文書かない大学人とかだと、自分の著書は生徒しか読まない人とか結構いるはずなので、この目標って部数を拡大すれば、研究者にもある程度そのまま妥当するんじゃないかな、とも思ったりラジバンダリ。)

それに、若い人が何か真剣に考えたり、熱いことを言ってるってこと自体、それをとりあえず表現してみたいんだ!!ってこと自体、社会にとって財産だと思うのですが、いかがでしょう。
だって、テーマが「若者と社会」ですよ? 書き手は20歳前後ですよ?
40歳の自分を想像すれば、直ちに満足そうに頷く気がします。

でも、部室感、馴れ合い感とかは(自覚がなくても外からはそう見えることは多くあるだろうし)、助走から疾走に変わるまでには徐々に脱していきたいですよね(自己願望)。

少なくとも、背中を押す大人でありたい、あってほしいと思うけれど。
(未来の私は、どうなってるんでしょうかね。)

だから、最初に「これが『正しい』回答」だと示したタイプの確かさは――言い換えると、言説の「重み」と「拡散性」、スタイルの洗練は――現に全国に名を知られる文芸なり、批評なり、学術誌なりで戦っている現場の「おっさん」「おばさん」(若者との対比で?)に任せればいい。
(だからといって「だって同人誌だし?」「だってまだ若いし?」っていう構え・態度に居直ることは許されないけど、自分は今、そういう話をしているのではないし。)
現に、文フリとかの頒布が中心なわけだし、規範的・意気込み的にそうだというのと、現実・能力は違うわけだから、当然の話なんですけどね。



褒めたようで、自己弁護したようで、励ましたようで、何も語っていないので、さくっと内容も触れます。



内容への感想


・ふわっと全体のこと

タイトルのすぐ下とかに、書き手の名前と、Twitterアカウント名があるのいいなと思いました。

文字幅狭い(もしかしたらフォントの問題?)のと、改行が少ないのは個人的に見にくいなーと思いました。全然許容範囲だけど、少し古い岩波文庫みたいな。

表紙かっちょいい。



既にいっぱい書いちゃったので、以下は特にいくつかピックアップして。


・巻頭言

問題にしたいことについての状況整理を、短雋な言葉でやってしまうこと自体は、新書や力のあるブロガーレベルであるので、ここに書かなくても、もっとコンセプトや、思想、思想にもならないとにかく熱い感じのアレとか語れば、いいのになと思いました。
つまり、終盤のことです。終盤で言ってることを、もっとたくさん/ちゃんと語ればいいのに(もったいないな)、と。


・「死にゆく世界に生きるということ」神山六人

清涼院流水とAKBから、見通しを得るという形で現実把握がなされて、それを踏まえて自己論を語っている(という三部構成)。
とても読みやすくてまとまっている文章で、超頭が下がります。

社会を語る時、コンテンツを通じて、それをするというのは結構厄介だな、と。
宇野さん型の批評は、個人的には苦手です。特に宇野さんは、道具として割り切ることと、コンテンツを楽しむための補助線とを、意図的に曖昧にしてる。(ネタとして語ることと、ベタに語ることを混ぜてる)
清涼院流水というフィルターを通して、社会を見れば、こういう風なもの《として》映り、それによってこういうことにスポットがあたるから、これを考えないと……さらにこのフィルターを重ねて……
みたいに、コンテンツを《利用》するという立場の方が、個人的には好みです。

社会を語る時くらい、社会にだけ視線向けてほしいかな、って。(コンテンツ批評はコンテンツ批評で、好きです。目的に応じて使い分ける方がよりいいと私は思うだけで。)

完全に好みの問題ですね。笑 
神山くんはどっちなんでしょうか。私、気になります。


多元的自己論の部分は、二年前くらいに見たこの動画が面白かったので、ぜひみてください。
多元化する若者の自己とアイデンティティ資本
後期近代におけるアイデンティティ資本

特に前者は、多元的自己論を複数的確にまとめてあるので便利。


・「社会のキリトリ線」伊丹空互

『太陽の季節』(1957・石原慎太郎)と『イン・ザ・ミソスープ』(1997・村上龍)を、20歳前後の人間が読んで書いているということだけで、もうなんか読む価値があった。
自分はというと……ぶっちゃけ読んだことない。笑


・「WHAT  "□□□" BE INVERTED?」堀真流知

大学に入学してすぐの女の子が、ゼミで考えたこと・考えなければいけないことを、最初に父親にメールすることで一度ぶつけてみて、次の週はまた別の考えたことを投げてみて……

という形式で続く。読みやすいし、発想が面白い。



なにかを「続けていく」ことについて


……はい。
あからさまに途中で書き疲れた感あふれていますが、ごめんなさい。笑
もう十分、言ったことの義務は果たしたかな、と思いますので、ここらで勘弁してください。

40歳くらいの、友人であり先生であり、導きの糸でもある某人に、「自分たちが考えたこと、話したことを、残しておくってことは、大事だなって今になって思うよ」と言われました。
「拙くても、きっと今とは違う考えだろうし、たまには面白いこと言ってたはずだし、そういうものを確認できない僕たちは、今はただ単に懐かしむことしかできない。過去の自分達のことが、今に対する直接の刺激にはならない」
という趣旨の言葉だったはずです(うろ覚え)。

同人誌は、(ガンダム的な使い方に近い仕方で)「黒歴史」なのかもしれません。
一番最後の読者は、未来の自分たちだったりするのかも。遠い手紙になると思えば、少し励みになる……かも?w

最初の言葉を翻せば、「創業は易く、守成は難し」とも言いますし、今度は頑張ってとりあえず続けていくことを頑張ってほしいなと思います(invertにはナンバリングタイトルもあるし)。
(そういえば、チャーリーもどこかでそんなことを言っていましたし、大槻さんと今日そういう話をしました。)

続けていく中で、不断に向上していくこと、広く届けようとすることはもちろんのこと。



はい、終わり。
こんなブログ書いていいのかわからないけど、まぁいいか。
すごい適当に、ねむいまま、推敲もせずに書いたので、お前が言うな感、満載ですが、大目に見てくだしあヽ(・ω・)/

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