2013年7月22日月曜日

ボカクリの京大寄贈に寄せて――アーカイブとランドスケープ

ボカロクリティークについて


ご存知の方はご存知かと思いますが、われらがVOCALO CRITIQUEが京都大学の図書館のひとつである、人環・総人図書館に所蔵されました。
編集長の中村屋曰く、「ボカロ界隈で一番あやしい同人誌」であるボカクリですが、ボカロ批評誌ボカロクリティークをご存知でない方はサイトをご覧ください。

・公式Twitterアカウント @Vocalo_critique
公式サイト(こちらから飛べるブログにて、目次がご覧になれます)

また、今回の大学図書館寄贈についてはTogetterにまとめましたので、こちらをご覧頂けると幸いです。
ボカロクリティークの成立事情や、経緯、方向性の思想などについてかいま見えるのは、このまとめです。一緒にどうぞ。

大体、個人的な意見にまみれているので、ご意見に関しては、ボカクリでなく私個人におなしゃす。
@mircea_morning


チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド――遺構(モノ)を残すこと


最初に、直接関係のない話を少しさせてください。
思想家・小説家の東浩紀さんが、フクシマ論などで有名な開沼博さんや、メディア・アクティヴィストの津田大介さんと組んで『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』という本を作りました。



チェルノブイリで、原発事故が起こったことそのものはみんな知っているわけですが、報道によってもたらされる情報は非常に限られたものでした。
チェルノブイリの人のその後の生活や、思いなどは、ほとんど報道されてはいない。日本のメディアが事前に撮りたいと思ったことを確認するような報道がメインだったと思います。
「大変なんだよ……」「ひどいだろ?」
その言葉の先をほとんど取材してこなかったように思います。

例えば、チェルノブイリ原発が主に送電設備として、未だに現役であり続けていることはどれだけの人が知っているでしょうか。
例えば、観光客(つまり一般の人)が訪れることのできる場所の放射線量は、「東京と同じくらい」だということを知っている人がどれほどいるでしょうか。
例えば、チェルノブイリ原発事故を起こしたウクライナが、まだまだ原子力発電を増やしていこうとしていることを知っているでしょうか。
例えば、チェルノブイリには未だに多くの人がいて、多くの人が訪れていること。作業員や作業員のための食堂で働く人がたくさんいて、ある意味では「死の町」のイメージを裏切る側面があることを知っているでしょうか。

そういう意味で、内部の声を、当事者の声を残すというのは重要だと思います。


個人的な本の感想を言うなら、原発事故から25年経った今、チェルノブイリで様々な活動をしている人にインタビューをしている所が、本書のハイライトかな、と。ここが一番、教えられるところが大きかったです。
複数のインタビュイーが言っていたのは、「震災遺構は、意識的に、早くから残そうとしなければ、維持できなくなっていく」という点でした。
25年経った今、寄付を受けても今となっては「そのままの形」を維持できないということでした。

震災遺構については、この辺りを参照のこと。
「震災遺構に対する宮城県の基本的な考え方について」
「特集:話そう、震災遺構」(朝日Digital)
→当該書籍の、津田さんの論考がまさにこのテーマを扱っているので是非。

追記:観光学者の井出明さんとお話した時の話題を思い出したので。
その当時に価値がないと思われていることが、大変な重要性を持つことはままある。沢山あるからと誰も残そうとしなかったり、ありふれているからと捨て置いている間に、どこにもなくなってしまったり。
その時の具体例は、鳥取県の歴史を記念するハコを作った時、「農業の歴史を飾るためのもの」がなくて困った、というものでした。県内ではどれだけ探しても見つからず、北海道に移住した元県民が、(自分の祖父母たちのルーツだからと)大切に保管していたものを、県が譲り受けた……みたいな経緯だったと思います。

震災遺構の「価値」「意義」「大切さ」は、今、そこにいる人だけではかるものなのでしょうか。
今、そこにいる人の気持ちも変わっていくのではないでしょうか。津田さんの記事でも述べられていますが、震災が落ち着いた時、残そうという方向に意見を変える人が数として増えるというのは、頭に留めておいていいのかもしれません。神戸でもそんなことあった気がします。


人と防災未来センター――情報(声)を残すこと


これと合わせて考えたいのは、阪神淡路大震災後に建てられた施設である、人と防災未来センターです。

人と防災未来センター(公式サイト)

震災や災害が起こると、たいてい「ハコ」が作られるわけですが、この施設はちょっと毛色が違うようです。
住民の「ちゃんと、これを教訓にして活かしてほしい」という声が多数あり、それを受けて近隣の大学の専門家が、多数の人の声を集め、資料を収集し、作り上げられた……という経緯がある。
つまり、有り体に言って、下からの声ありきで作られたものであって、とりあえずハコを作って、さて何を展示しようか……というタイプの倒錯ではないということです。

展示内容も結構凝っている。役場の人、消防士、住民…様々な立場の人に話を聞いている。(住民も場所によって全然被害程度も、被害内容が違う)

チェルノブイリでは、物の話をしたわけですが、「声」も、その時・その瞬間に残さなければ失われてしまう。
人は悲惨な、辛い記憶を「全くそのまま純粋に」抱えておくことはできない。時間によって、曖昧になったり、反復して思い出す中で悲惨な部分が過剰に拡大されたり、逆に美化されてしまったり……。
その時見えているものと、来年、あるいは10年、25年後に見えているものは決して同じものではない。10年前の自分と今の自分が全く同じ人などいないように、思いや記憶も(維持される点もある一方で)変わっていく。変わってしまう。

その当時の人間のランドスケープは保存しておかなければ、後の人間にはわからない。
加えて、資料や情報を蓄えていることで、人と防災未来センターが研究や専門家の交流拠点にもなっていたりもします。



アーカイブ化すること――例えば鎌倉仏教に対する反応


なにやら真面目な話をしてしまいました。
兵庫県民的には、思わず考えてしまうことなんですよね。

「当時の人間の見ている世界は、その当時の人間にしかわからない」ということの事例はたくさんあります。
例えば、鎌倉仏教。
日本史の教科書で教えられる限りの印象だと、鎌倉時代ぽこぽこ出てきたこれらの宗教は、一気に広がって、それ以前の仏教教派(南都六宗平安仏教)は退潮していったかのように感じる人もいるかと思います。


日本思想が専門の佐藤弘夫の言葉を借りればこうです。

学会において、戦後長きにわたって中世思想史の中心対象となってきたのが鎌倉仏教だった。鎌倉仏教を論じることがとりもなおさず中世仏教・中世思想を論じることである、という認識が共有されてきた。 (『日本思想史講座〈1〉古代』より)

しかし、黒田俊雄の「顕密体制論」によって、この種の誤解は日本の歴史学の中ではなくなったと言っていいはずです。
まぁ、小中高の教科書ではそうでないのでしょうけど。
黒田俊雄その人は、専門外の人にも結構有名で、『王法と仏法――中世史の構図』松岡正剛の例のアレにもありますね。
「顕密体制論」も、そのサイトを見ればざっくりわかります。「ざっくり」ですが。


仏教界全体としては「新しく出てきたセクトのひとつ」という受け取り方だったり、批判的な意見もあったりと……そんな様子だったようです。
実際、真言宗や天台宗の寺社には、その当時の鎌倉仏教に対する言説がちゃんと残っているそうです。
(議論されたことや、説法の内容などを、記録する専門の役職もあるのだとか)
こういうことも当時の記録が残っていたから、確認できることですよね。


VOCALOIDをアーカイブ化すること



今まではちょっと繊細な話題を抱えていたので、あんまり気にし過ぎないでください。
ご存知の方もいるでしょうが、ボカクリは国会図書館に納本されています。
国会図書館のサーチ画面

今、文化の当事者である自分達にしか見えないランドスケープがあると信じているからです。
将来的にVOCALOIDがどういう存在になっているのだとしても、その時代の感性で、その時代の言説を残すというのは意義があるだろうと考えています。

大学図書館に所蔵するというのも、そういう意識の一環なんですよね、実は。
文化は残すことによって育っていくし、残すこと抜きには育たない。
あるいは、ある「終わってしまった」文化であっても、そのことを思い出したり、確認したり、他の文化と比較する時、痕跡がどれだけ残されているかということは重要なことじゃないのかな、と思います。


本職がミク廃で、片手間にSF作家をしている尻Pこと野尻抱介さんの小説で、『南極点のピアピア動画』というのがあります。
これがまたよくできた小説なんですよ。



「歌う潜水艦とピアピア動画」(p157)では、こんな一節があります。

「『(潜水艦の)なつしおを神戸のドックに入れて、元町に乗り出した。そのときだなぁ、スナックに「めると」が流れて』
『ああ、名曲ですなあ』
『言ってみりゃティーンズの痛い歌なわけですよ。だがそれがいい。(中略)西里さんは?』
『私はね、(中略)「おしえて☆ますたぁ」ね。リップシンクロのアニメがついてるんで度肝を抜かれましたね』
(中略)
産総研の後藤は話についていけるらしく、時々合いの手を入れている。大賀艦長は如才なく笑顔を向けているが、話に入ろうとはしなかった」
野尻抱介『南極点のピアピア動画』p156,157より

これは随分未来に、こんな風に懐かしめたら、いいなと思います。
残すことで、文化が育っていけば。
残すことで、未来の人が過去を確認する手段になれば。
残すことで、ボーカロイドに色んな人の、色んな視点が触発されて生まれていくきっかけになれば。

とまぁ、私見にまみれていますが、なんか書いてみました。どうでもいいですね、すみませんw

vol.5では、「60年後のボーカロイドを夢みて」という論考を書いたのですが、60年後に草創期のボーカロイドを、笑顔で思い出せたらいいなと思います。


注記①
奈良県立大学や日本大学にも所蔵されています。
注記②
『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』ですが、尻Pも絶賛してましたね。思わず話繋がってしまった。
注記③
開沼博さんが京都のイベントスペース・GACCOHでイベントをします。7月27日18:30から。
詳細はこちら

2013年7月9日火曜日

ニコニコ学会βとその周辺――『進化するアカデミア』と『これが応用哲学だ』

2012年のニコニコ超会議には参加して、ニコニコ学会にも張り付いていました。
そして、かつてニコニコ学会で、宣伝されたことのあるボカロ総合誌(批評誌)の『VOCALO CRITIQUE』のスタッフでもあります(クリプトンの伊藤社長の寄稿もあったり、いくつかの大学図書館に所蔵されてたり…。とらのあなで通販してますよ!)

知り合いも関わっているし、うちの大学の教授もいるので、かなり熱心なニコニコ学会ウォッチャーだと思います。我ながら。

そんなニコニコ学会のことが綴られた『進化するアカデミア』(seroriさんの表紙絵がまたいいんだ、これ)のKindle版が発売されたので、Amazonに掲載したレビューをちょっと修正しつつ書こうかなと思います。


扱うのは、ニコニコ学会βと応用哲学会。
テーマは、研究、面白さ、思想、やってみせること。




・ニコニコ学会βができるまで


一言で本書を表現すれば、「ニコニコ学会β」ができるまで。

ドキュメンタリー的にニコニコ学会βという名称や、コンセプト、ニコニコ学会βの特徴的な発表である「研究100連発」や「研究してみたマッドネス」が生まれるまでについて語っている所がハイライトかな、と思います。
想像以上に、〈思想〉の詰まっている「学会」なのだと感じました。ニコニコ学会βは、コミュニティ論的にもなんだかちょっと面白いというのが持論なのですが、それを確認させるような内容でした。

(〈思想〉の感じは、「ニコニコ学会βとは」を見るだけでも片鱗は感じられると思います。)

もともとニコニコ学会βをちょっとでも見たことがある人じゃないとピンとこない話かなと思います。

ニコニコ生放送で、タイムシフトがまだ残っていて見れるはずなので、未見の人はまずはそちらへ。あるいはニコニコ学会βを研究してみた (#NNG)という本に当たるのもいいかもしれません。他に似た雰囲気を掴めるものとしては、情報処理2012年05月号別刷「《特集》CGMの現在と未来: 初音ミク,ニコニコ動画,ピアプロの切り拓いた世界」とかでしょうか。



個人的に面白いなと思ったのは、「研究してみた」タグを奨励すること、「研究」の意味を書き換えることでした。
初音ミク、Illustrator、pixiv諸々の技術やインターフェイス、プラットフォームが「表現する」ことの意味を書き換えたように、「研究」の意味も、情報技術など諸々の環境変化にともなって更新されて然るべきなのかもしれません。

しかしながら、どれほど「敷居が下がっている」かは疑問符を付けるべきかもしれません。例えば、「研究してみた」タグが付いた動画は現在13件(2013年6月5日)のみです。

「タグが付いているからいいというものではない。付いていないものも我々は研究と見なすのだ」と言うのならそれもいいでしょうが、それは「手前」の中で勝手に「研究」の意味が更新されているだけです。学会βとして社会と技術、社会と研究との両輪を重視していくのだと謳っている以上、これからそこをどう埋め合わせていくかは注目していきたいところです。

「研究100連発」にしろ、ファラデーのロウソクの科学 (角川文庫)みたいに、上から下ろしてくる方向性がメインだった(少なくともそっちの存在感が大きかった)からというのもあるのでしょうが。ニコニコ超会議では、ポスターセッションなどの試みもありましたし、野生の研究者という呼称を生み出して、潜在的「研究」をすくい出す試みもあるにはあります。個人的にはこっちももっともっと力を入れてほしいなと思います。


付記:

タグと言えば、岡田斗司夫と東浩紀が対談した時(2013年)、「語ってみた」というタグは面白いかもしれないという話をしていたのを思い出しました。

現在は一人だけ登録してありますね。ニコ生じゃなくて語ったことがアーカイブされることが重要なんですかね。顔出しは基本)
それと、ある程度ですが、美術手帖の初音ミク特集と出てる人かぶってますね。ある程度。



・他の学会の話――応用哲学会


世の中には、「応用哲学会」というのが存在します。
立ち上げには戸田山和久さんや、出口康夫さん、美濃正さんなどが関わっている、かなり若い学会です。
この立ち上げや学会の「位置」については、話せば実は、長い文脈がその背景にあるのですが割愛するとして……。

悪しき意味で専門化(=タコツボ化)し、そして相互のコミュニケーションすらままならず、更に「自分で考えることすら忘れてしまった」哲学。
もっとしなやかで、「自分の頭で考える」(eingedenken…だったかな)哲学を披露し、議論する場、もっと開かれて、活気ある哲学の場<も>あっていいんじゃないか。
……かなり強引な要約ですが、そういう立場に立っている学会だと思います。


一つに議論の闊達さに関して既存の学会に息苦しさを感じていること。
一つに若手の研究者の表現・発表の場を確保すること。
一つに分野横断的な知的なネットワーク、忌憚ない議論の場を準備すること。


この辺りが目的なのではないかな、と思っています。
ニコニコ学会βは、「期限付き」の5年で解消してしまう学会であることと、なぜニコニコ学会βはそうすることを選んだのかということを思い出せば、このような目的は、頷けるものであるなぁと思ったりします。


応用哲学会の最初の会では、茂木健一郎が真面目な発表をしたりしてます(これは以下に示される『これが応用哲学だ』に収録されている)。
エンジニアや都市工学系の人も参加していれば、認知心理学者や社会学者、企業出身の研究者も参加しているそうです。



自分の教わっている先生も関わっている学会で、しかも、ちょっとした知り合いが『これが応用哲学だ』の出版社にいるので、ばっちりこの本も読んでます。
個人的におすすめなのが、Kindle版も安いことですし、『これが応用哲学だ』です。

この本に現れている問題でいくつか興味深いことがあります。
・なぜ哲学でなければいけないか
・結局哲学は何の役に立つのか
・哲学は何を社会に示すことができるか
この辺の疑問に、どの文章も向き合っているからです。ちなみに3.11後なので、その意味でも興味深い。ニコ生思想地図で、國分功一郎と東浩紀が、哲学について言っていたことと『これが応用哲学だ』で示されているいくつかの回答は、結構似ているんですよね。

つまり――現に哲学をやってみせることによって示していくしかない、ということ。

この点は共通していました。もちろん、方法はそれだけじゃないんでしょうが。

震災後哲学に何ができるか。『これが応用哲学だ』の座談会には、出口康夫、戸田山和久はもちろん、鷲田清一から、野家啓一も参加していて、結構アツいんです。岩波書店が出している『思想』という学術誌がありますが、関東大震災後の『思想』を掘り返して、文章に目を通している話などは、傾聴に値すると思います。
物理学者の長岡半太郎や、寺田寅彦(「天災は忘れた頃にやってくる」)、京都学派の人々の文章もあって、結構言っていることは、2011年と似ている印象がありました。もちろん、あの時と違って、原発のことがあるので色々場合は違いますが、歴史を参照することは、未来を考える上で参考になると思います。
(ちなみに、この座談会では、『一般意志2.0』も話題になっていて、結構的確な批評がなされています。)



応用哲学会も、文脈を踏まえると(今回はその説明をしていないわけですが)、かなり「思想」と「理想」の詰まった「学会」です。
ニコニコ学会βもそう。
しかし、両者には色々違いがあります。決定的な違いも多くある(例えば、学会費がニコニコ学会βにはありませんね)。とはいえ、かなり似ているところもある。

「何か面白いことがしたいということ」
「分野を超えて、学際的な議論がしたいということ」
「他分野に、知的な野次馬根性を持っていること」
「官民学、そんな違いなんて本質的なものじゃないということ」
「既存の学会もいい。でも、その他にオルタナティブな可能性を示す学会もあっていいんじゃないかということ」
「自分たちのやっていることが本当に面白いし、それが社会に還元できると信じていること」
「人の面白がっていることに触れるのは、自分の面白さでもあること」

例えばこのような点でしょうか。
応用哲学会は、特に『応用哲学を学ぶ人のために』を読めばわかると思いますが、「誰にどのように読んでもらいたいのかわからない」所がある。
開こうとしすぎて、求心力がないというか、単なる雑多なものの並列になっていないか?という疑問はあってしかるべきだと思います。個々の論考は面白かったりするのですが、統一的な視点を欠くのです。
これからの応用哲学会がどうなっていくのか、注目したいところです。教授自身も、その問題点をどう克服するかについて悩んでいらっしゃったので(とはいえ、変化を恐れない人なので、きっと変わっていけるでしょうが)。

もちろん、その雑多さは、ニコニコ学会βに例えるなら、何か生まれてきそうな「野生感」の反映でもあるし、ここの分野が交わっていくための準備として、「私の分野は、こう『やってみせる』よ。君はどうだ?」という問いかけであると解釈することもできるかもしれません。
好意的すぎるでしょうか。
けどやっぱ、面白がって何かやっている人は輝いているし、実際彼らはとても楽しそうに見えます。それは重要なことじゃないのかな、研究について。