2014年8月13日水曜日

眠れぬ夜の積ん読整理@2014年夏

かつて積ん読リストを作っていました。
最近はブクログがうまく活用できているせいか、かなり積ん読消化率高いです。
積ん読の全てではありません。
読まれた本は、このように実線を真上から引きます。

ジャンルごとにそろそろ読んでおきたい本を挙げておこうかなと思います。
個人的なメモを晒していることになるわけですが。。。。




エンタメ・ファンタジー・ミステリ

・有川浩『塩の街』(角川文庫)

・万城目学『ホルモー六景』 前作を読んで、期待してなかった割に意外と楽しめたから。(とか言いながら、積ん読に)

・円居挽『丸太町ルヴォワール』 本屋でサイン本をゲットしたにも関わらず(講談社BOX版)、積ん読山脈において、縁の下を支える本として働いていました。

・岡田剛『十三番目の王子』  なぜかAmazonレビュー低いですが、自分の周りではかなり高評価。

・ほしおさなえ『空き家課まぼろし譚』 奇しくも円居さんと同じく、くまおり純さんが表紙。

法月綸太郎『ふたたび赤い悪夢』 東浩紀『セカイからもっと近くに (現実から切り離された文学の諸問題) 』を読んで以来ずっと追いかけている法月綸太郎シリーズ。

その他

・松岡大悟『焼肉のことばかり考えてる人が考えてること』  ずっと気になってたけどKindleセールを機会に購入。

岡田斗司夫、堀江貴文『ホリエモンとオタキングが、カネに執着するおまえの生き方を変えてやる!』  やすかった頃に購入。オタキングもホリエモンも、なんかのリングネームみたいですね。冷静になったら。

筒井康隆『創作の極意と掟』  こちらもセール中。『着想の技術』の続編的に読める本なのだとか。
 
村上春樹『遠い太鼓』 紀行文
村上春樹『辺境・近境』 これまた紀行文
・村上春樹、河合隼雄『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』

海外小説

スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(村上春樹訳)

・トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』(同上)

・アンドレアス・グルーバー『夏を殺す少女』 最近ハマっているドイツミステリ。警察ものもいいなぁと思いつつ、続々と買ってしまう。本を買った途端Kindle化されて悔しい

SF

・冲方丁『微睡みのセフィロト』

・上田早夕里『魚舟・獣舟』
上田早夕里『華竜の宮』(上)および(下)  新たな日本沈没だとか。日本SF大賞受賞作


専門書(専門外の専門書も含む)

・レスリー・A.フィードラー 『消えゆくアメリカ人の帰還』 (1972)  福嶋亮大さんの『神話が考える』を再読して興味。

・ジェイムス・ハーキン『サイバービア 〜電脳郊外が“あなた”を変える』  同上。

・荻上チキ『彼女たちの売春(ワリキリ)』  Kindleセールで激安。新書くらいの値段に。

・八杉 龍一『ダーウィニズム論集』 (岩波文庫) 

内田樹『下流志向』(2007)を今更読んで。



下鴨神社では、ちょうど12日から納涼古本まつりが始まりました。台風11号の影響で、少し遅延しての開催です。(残念ながら、市内で開催されていた陶器市も、土日がおじゃんになったらしいですね)
それに合わせて書籍の整理をしているうちに、積ん読になったままのこの本を見つけたので、ぱらぱらと読んでいました。(内田樹って、なぜか積ん読率高い)
序盤はよかったのですが――どうにもこうにも耐え難いほどに、内容へのいらいらが募って寝られないのでちょっと何か書いてみます。


テーマは、「教育からの逃避」と「労働からの逃避」。
これに対する内田樹の戦略は、大まかに言うと以下のものです。

通俗的な功利主義的態度(消費者的主体像、心理的な契約・等価交換関係)が蔓延しているという現状認識のもと、処方箋として、リスクヘッジ的な態度を提案する。実際は『先生はえらい』的な師弟関係も、そこに加わるわけだけど。
ちなみに、貼っている『私家版・ユダヤ文化論』も、『先生はえらい』的な話とほとんど同じです。


基本的には面白かった。面白いアイデアとかも出している。消費は無時間的だとか、労働者的な主体になる以前に、消費者的な主体になっているとか……。

ただ、教育の成果は数値化できない云々言ってるくせに、「学習時間」で子供の学力測ってるのにはたまげた。本を投げた。語るに落ちるというか、自分の無根拠さ・適当さを惜しげもなく露出しています。

ニートに関する認識もひどいもの。特に最近『無業社会』(西田亮介・工藤啓)でとりあげられるような若者も、成金のぐーたら息子も、構造的に生み出されるニート(階層的な問題のある)も、一緒くたにしている。
要するに「根性なし」「考えが甘い」「師匠を持て」的な無内容と印象論を連呼。これは処方箋でもなんでもない。誤った現状認識のもとでは、誤った処方箋しか出てこない。薬のつもりで毒を配っていることに気づかないのでしょうか。
というか、「ニート」に対するラベリングはひどいもので、はっきり言って差別的でした。



加えて、ニートの数について触れた部分で、「統計的にも正確にはわからない」と言っているが、統計についての無知を晒していて、それで『先生はえらい』ですかと思わざるを得ない。
「ムジュン」を「矛盾」と綴れず、なんとなく印象的に「無純」だと理解して、そう書いている学生が紹介されているのですが、内田さんのこの思い込みと思考停止は、彼女のものとどこが違うのでしょうか。私は思わず枕に本を投擲しました。


失語症に関する認識もひどく、印象論的でいながら根性論と個人の精神の問題に回収する始末。無知を晒すどころの話ではなく、はっきり言って害悪です。
その前後で、「無知とは」なんて語っているから手に負えません。

まぁ、最初の1,2章は面白く読めるのではないでしょうか。基本的に眉唾で読むべきです。ちなみにこれ、2007年の本なんですよね。1990年代に書かれた本とかではないんですよ。私は思わずため息をつきました。



……などと述べてきましたが、別に内田樹読んでいないわけでもないし、全く読む価値がないとも思わないんです。本や箇所によるのですが、面白いことも言うし、傾聴すべきところも当然ある(でなければ、曲がりなりにも、これほどの一般的支持を得られるでしょうか)。
疑いつつ、反論しつつ読んでほしいですね。(ちなみに岡田斗司夫との対談本はかなり好きです)

講演が元ということもあって、内田樹のだめで、ヤバいところが凝縮されている本だと思いました。他の内田樹の本を読む上で、通過すべき「ヤバさ」なのかもしれませんが……。


なお、作中で度々引用される苅谷剛彦は、普通に参考になると思います。
こちらに苅谷さんについての簡単な紹介が含まれている文章がありました。参考までに。

2014年8月1日金曜日

7月31日、ガザ地区のこと

思う所あってSNSに書いた長文です。ほとんどそのまま転載します。


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ガザ地区(Gaza Strip)の件があまりにままならないので、せめて色々調べていたのですが、この少女のTwitterと、国境なき医師団の記事・声明とには、もうどうしようもない気分にさせられました。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/07/31/palestinian-teenager-farah-gazan_n_5636739.html
http://www.msf.or.jp/news/list_palestine.html




少女は、大好きだったモスクが破壊されたようです。
https://twitter.com/Farah_Gazan/status/494270782483468290

ユニセフの声明と状況の報告
http://www.unicef.or.jp/children/children_now/palestine/sek_pale25.html
アメリカの動き(停戦する一方、イスラエルに弾丸を供与)
https://twitter.com/aika2711/status/494847211935498241


報道ステーションって別にいいとも思えないけれど、こないだパレスチナとイスラエルと、一人ずつ死者の映像を流す、という仕方で紹介していたのはよかったと思う。
https://twitter.com/Farah_Gazan/status/494542794804199424 (←やや閲覧注意)たとえ、ジャーナリストがこんな目にあっても、単なる勧善懲悪(勧悪懲善?)の話にしていいわけもないと思うので。短いけどいい紹介だったと思う。


停戦しないことには、金銭的な支援もままならなさそうです。(国境なき医師団では、エボラ出血熱、中央アフリカの支援、シリアの支援が寄付先として選択できます)
http://www.msf.or.jp/donate/select.html

……なんというか、腐っていても仕方ないのですが、金銭的支援でなくても、忘れないでいること、覚えておくことも、こういった現実への、一つの抵抗なのだと思います。
実際、2008年にもガザ地区侵攻がありました。今回のほうが、ずっとひどいのですが。死者も倍じゃききません。覚えていたでしょうか。知っていたでしょうか。自分は(勉強していたくせに)思い出すのに、少し時間がかかりました。


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なんとなくですが、こういうエピソードを思い出します。
(実のところ、村上春樹のカタルーニャ国際賞スピーチを、レポートのために最近読んだのです。http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/85518.html

第二次世界大戦中、ロバート・オッペンハイマー博士は原爆開発の中心になりました。彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」
それに対して、トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」。

まぁ、ちょっとできすぎたエピソードなのですが、情報が流通速度を早めていく昨今、私たちは慢性的な健忘症に、ちょっとくらい抵抗すべきなのかもしれません。2008年のパレスチナのことだって、自分自身「白いハンカチ」で吹いて、すっかり忘れてしまっていたわけですから。(もちろん、私が銃や爆弾で人を撃ったわけでも、その兵器を作ったわけでもないのですが、まぁ比喩的に)

「寄り添い」とかいう言葉は苦手なので使いません。「死者1300人にも生活が……」(激化しているのでもっと増えるでしょう)なんてすごく倫理的で、高邁なことも思いません。そんな聖人的ふるまい、できたとしてもいつまでも持続しません。
それでも、無意識に「白いハンカチ」で手を拭いたり、悲惨なものにかぶせて見ないようにしたがっている自分に気づくことくらいは、必要かもしれません。
ちょっと、覚えておくことです。とりあえず、忘れないでおこうとすること。せめて、知っておくこと(忘れてもまた思い出せるように)。


思うところあって、なんか語ってしまいました。
死者の冥福を祈ります、なんて言葉はどうしようもないだろうけど、それでも、一日も早く戦闘行為が集結しますように。

6時間過去に生きている(時差が約6時間だそうです)パレスチナ・イスラエルのみなさん、お先に、おやすみなさい。