2013年1月1日火曜日

山川偉也『哲学者ディオゲネス』―貨幣の価値を変えよ



あけおめ。
年越しですしね。あと、関西人だし、うどんかなーと
ひもじいなう! 今年もまた、おじさまやおばさまにお年玉をねだる時期が来ましたね……
ということで、お年玉ください><


……さて!

最初に、なんか面白かった所を。
語の多様性は知らなかったし、拘束についてこうしてまとめてるのを見たことなかったので。

「奴隷」を意味するギリシア語は、イヌイットにおける「雪」のごとく実に多様で、一般的なものだけでも「ドウロス」「ドゥモス」「アントロポス」「オイケテス」「パイス」等々たくさんある……。……このように多様な言葉で表現される「奴隷」身分の人間たちは、自由人とは対照的に均しなみに次のような人格的束縛の下にあった。

1,奴隷は、あらゆる法的訴訟において、その主人あるいは主人によって委任された人物によって代理されなければならなかった。
2,奴隷は何者かによってその身体を拘束されても、それに抗うことが許されなかった。すなわち、奴隷は拘束と逮捕に際して抵抗することなく服従しなければならなかった。
3,奴隷は、みずからが欲することを選択しえず、その主人の命じることをなさなければならなかった。奴隷には、自分の意志によって行動する自由がなかった。
4,奴隷には移動の自由がなかった。また、自らが生活したいと思う住居で生活することができなかった。(本書pp223-224)

山川偉也『哲学者ディオゲネス 世界市民の原像』(講談社学術文庫)を読んでいます。

フーコーの最晩年の講義『真理の勇気』(上に貼ってあるやつ)の購読をしていて、それの副読本的に読んでいるわけです。これはまさに、ディオゲネスを中心とする「キュニコス主義」について主題的に扱っているコレージュ・ド・フランスでの講義です。

ちなみに、タイミングよく柄谷行人『哲学の起源』も出たので、それも読みました。これは、キュニコス主義については、ちょっと触れられている程度ですね。
同じくディオゲネス・キュニコス主義を扱ったものとしては、スローターダイク『シニカル理性批判』があります。これもまた、面白い。まだ途中までしか読んでませんが。山川は「浩瀚な書物」と賞賛していましたが、まさにそうだと思います。まぁ、フーコーの方が好きですが。

最初に柄谷行人のに触れると、これは小説DA! とても面白い小説だった!!!
まぁ、でも、例えばヘロドトスがリベラルに見えてきたりする。視点は面白いと思います。死ぬほど間違ってるわけでもないと思います。けど、やっぱり小説ですよ、これは。

===

・ディオゲネスって誰やねん

ディオゲネスは、ソクラテスより少し後の時代の人。アレクサンドロス大王と会った時のエピソードは有名ですね。「何かしてやろうか」「そこに立つと日を遮ってるから、どいて」(大意)的なやつ。
シノペという所出身なので、「シノペのディオゲネス」と呼ばれたりします。プラトンでもそうですが、ディオゲネスさんは何人もいるので、出身地とかを前に付けて区別するんです。
前に付けるやつのことを「エピセット」って言います。これは覚えていて損ないかと。

本来なら、日本語wikiでも貼ればいいのでしょうが、「キュニコス主義」も「ディオゲネス」も、割りと誤謬だらけ、誤解だらけ、無批判的な記述に溢れていたので、ふわっとした記述で我慢してください。英語wikiはまともでした。


・推理ゲームとしての『哲学者ディオゲネス』

筆者は最初、シャーロック・ホームズと、考古学で未踏の業績を残したシュリーマン『古代への情熱』の人)を引いて、「彼等のように、透徹した仕方で、ギリギリまで精密な推定が必要だ」というようなことを述べます。
実際、特に序盤は推理ミステリを読んでいるかのように、様々な典拠からディオゲネスの人間像と、彼の人生とを「追い詰めて」いくわけです。
「これは、あれに反するから違う」「これも違う」「こうではない」「ああではない」……
選択肢を潰す様は、まさに推理ゲームですし、ある程度は否定神学みたいですよね。
「これは神ではない」「あれは神ではない」「これではない」……という論法ですから。

ただ、推理小説って、連続殺人がほぼ達成されてから解決するじゃないですか。あれは「推理がうまくいった」と言っていいんでしょうかね。いくら透徹した推理でも、推理ゲームとしてはグズグズなんじゃないかなーとか思ったり。
アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』を元にした、クトゥルフ神話TRPGの「そして誰もいなくなるか?」(ニコ動)を思い出して見ると、これはグズグズに人が死に、傷付いて、もやもやする終わり方になっているわけですが、本書はどうでしょうか?
まぁ、読んでそんなことを考えるのもいいかもしれません。


・キュニコス主義はいかに訳すか

山川が一章の注釈(5)で面白いことを言っています。これは本書の小さなハイライトです。
どういうことかというと、キュニコス、あるいはキニク派を、「犬儒派」「犬儒主義」と訳すことに関して、徹底的に批判的な立場に立っている。彼は「根本的な誤訳」とすら言う。

「犬」というのは、彼らが自ら掲げるモチーフですし、「犬」という言葉については、致命的な文化的差異はありません。
他の思想(家)からも、「犬」のレッテルは与えられます。例えば、ディオゲネスを「犬のソクラテス」と呼んだのは、プラトンでした。
しかし、山川によると、「儒家」「儒教」的な要素はない。さらに、「儒」が意味するのは、「巫祝・祭礼に関わる人」だけれど、これはディオゲネスが拒否したノモスを担う人間。
『シニカル理性批判』のスローターダイクが気を遣った点でもある。キュニコス主義を英訳すれば、シニシズム・冷笑主義に回収されてしまう。スローターダイクは、「キュニコス」「キュニシズム」と訳し、シニシズムとは明確に区別しています。
哲学者も、哲学研究者も、こういう点はすごく拘るんですよね、実は。


===

それほど、書くべきことがないんですね、実は。細かい内容が多いし、大まかな内容は読むのが一番なので。
ということで、自分の気になった側面から、この本を通過しつつ、ディオゲネスについて好きに書きたいと思います◎


「貨幣の価値を変えよ」――ノミスマをパラハラテインせよ

これは、ソクラテスでいう「汝自らを知れ」でした。
同じく、アポロン神殿の神託でありながら、生涯を通じた謎であり、さらには、彼自身を象徴する言葉。

ノミスマとは、基本的には貨幣のことですが、「ノモス」に通じていくことからもわかる通り、法・慣習・制度を意味する言葉でもあります。
アリストテレスのノミスマ論と言えばティンとくる人も一部にはいるでしょうが、その場合は前者、貨幣のことですね。後者は、ポリティコン・ノミスマと表現したりもするそうです。

この神託はディオゲネスだけに与えられたものでありながら、ソクラテスのそれのように、キュニコス主義を標榜する人は、その言葉を自らも掲げつつ生き、またキュニコス主義でない人も、その言葉を彼等に帰するのです。


ディオゲネス(の父)は貨幣鋳造局の偉いさんだったことがあり、「貨幣の悪鋳」を責められて、追放の憂き目に遭います。
ご存知でしょうか。貨幣の価値を変えること、贋金を作ることは、経済学的にも哲学的にも重要なテーマだったりします。
現在の「ゲーム」に乗っかりながら、それを乗っ取り、価値を変えてしまう。
ゼロ年代批評的に言えば、「ハッキング」ってやつですね。ズラしてしまう。書き換えてしまう。
(正直、真新しさの欠片もない想像力ですよね。それが悪いとも思わないけど)

例えば、アンドレ・ジッドの『贋金づくり』を見ればわかるように、ストレートに文学的モチーフでもあります。
映画でも、「ヒトラーの贋札」なんてのもある。

最近出た本で、トマス・レヴェンソンの『ニュートンと贋金づくり――天才科学者が追った世紀の大犯罪』なんてのもあります。
なぜか、古市憲寿さんが面白がって読んでた不思議。


日本なら、『坂本龍馬の「贋金」製造計画』(新書)なんてのもあるようですね。
恐らくこれと同時代を扱ったガチ版、主に薩摩視点の話で、『偽金づくりと明治維新』(徳永和喜)なんてのも。



グレシャムの法則「悪貨は良貨を駆逐する」を持ち出せば、「貨幣の価値」を変えよ、のイメージがしやすくなるでしょうか?

既存のゲームに乗っかりつつ、その価値を堕落させ、流通させ、書き換えてしまう。
体制の裏返しをする時に割りと利用される手段でもあります。「この秩序」を骨抜きにして、「別の秩序」を構想する。
フーコーは『真理の勇気』の中で、キュニコス主義が、系譜として、革命の思想に流れている、というようなことを言っています。まさに、「別の秩序」なわけです。
(この辺りが、個人的には、マフィアのむき出しの自由・暴力・秩序への興味に繋がるのです→「新書『イタリア・マフィア』――終わっていること。元も子もない自由、暴力、秩序」を参照ください。)

ちなみに、ハイエクなんかが、グレシャムと逆のこと言ってますね、そういえば。あんまり詳しくないですけれど。


最後に何点か

・分厚いだけあって、面白い!
けど、これから入ると、途中で飽きちゃう人が多そうです。キュニコス主義とか、ストア主義、ディオゲネスに既に興味をある程度抱いた上で読むととても有用だと思います。

・あと、数学(算術)的な説明を持ち込む必要あるのかな? ないと思うよ(迫真)
プラトンでやるならわかるけど、ディオゲネスはそういうのすら拒否しているはずで……。

・この本で一番役立つのは、「ディオゲネス伝」逸話一覧表です。これは、ディオゲネスのペーパー書く人には不可欠ですねー

・ラストに一応目次。

目次
序章 「世界市民」の原像としてのディオゲネス
第一章 「ディオゲネス伝」読解のために
第二章 シノペ――通貨変造事件前夜
第三章 シノペ――通貨変造事件当日
第四章 通貨変造事件直前・直後の顛末
第五章 象徴戦略としての「犬」、そのシンボリズム
第六章 狂ったソクラテス
第七章 ディオゲネスとアレクサンドロス
第八章 ポリス的動物と「獣」のアナロギア
第九章 ディオゲネスの奴隷制批判
第十章 自足して生きる
第十一章 アリストテレスの正義論
第十二章 世界市民への道
終章 世界市民主義の地平
あとがき/参考文献/「ディオゲネス伝」逸話・トピック対照表/人名索引








0 件のコメント:

コメントを投稿