2013年1月25日金曜日

P8「いま、消費社会批判は可能か―國分功一郎インタビュー」読書会レジュメ #kansai_ct



PLANETS8の「いま、消費社会批判は可能か」と題された、哲学者の國分功一郎さんのインタビュー。インタビュアーは宇野常寛
この対談内でも話題にされている、『すばる』2012年2月に収録されている、対談「個人と世界をつなぐもの」は、内容的にも比較に値する。
簡便のために、以下は、『すばる』の対談をA、インタビュー(今回のやつ)をBとすると、ざっくり言えば、こんな印象。
 Aは、國分功一郎が、宇野常寛に話を聞いている。
 Bは、宇野常寛が、國分功一郎に話を聞いている。

内容の注目点も、この2つのタイトルに現れていて、「消費社会」(消費形態)についてと、もう一点は、「中間のもの」についてだ。
ちなみに、後者については、能動と受動の中間だったり、個人と世界の中間だったり、動物と人間の中間だったり、依存と決断の中間だったり、世間と学問を繋ぐ語りだったりする。



Aの対談から。

「中間のもの」――"語り口"  國分さんのブログ

語りの宛先/啓蒙の問題

かつて:吉本隆明、内田樹。関西クラスタ的には、鷲田清一や河合隼雄も。
90年代からゼロ年代始め:宮台真司、香山リカ→「社会学・心理学ジャーナリズム」

大塚英志「吉本隆明は、『啓発されました』と対談のラストで言う」(大意) 例えば、確か『全マンガ論』(うろ覚え)

※対して「文壇的スノビズム」80's
そういえば、こんなのも↑


「消費社会」――"味わい尽くす"  仮面ライダーの何かよくわからんやつ

本文の別の文脈の言葉を組み合わせて言い換えると、"楽しみ尽くす"
『暇倫』→楽しむのにも訓練

「消費と浪費」という区分の有効性はあるのか?by宇野

消費者=資本家の奴隷、資本主義的サイクルのコマ――●
(という図式の上での批判)

「楽しむ」ということ云々by國分

"食う"というイメージ――○
(例が柿ピーて。コンビニの柿ピーて。楽しそうだけど)

●=物に付与される、観念・イメージ・記号の消費
○=物自体の消費 → というより、物に私が(過剰に)付与する観念の消費 では

※浪費や、"味わい尽くす":バタイユの「消尽」(consumation)に触れてもいいんじゃないのかな、かな→湯浅博雄『バタイユ』(講談社学術文庫)湯浅博雄『バタイユ―消尽』(現代思想の冒険者たち)ブログの記事1ブログの記事2


Bのインタビューから。 

「消費社会」――思想とライフスタイル
思想(カテゴリ)に対応するライフスタイルという観点

(批判)思想=エコロジー←→清貧・我慢=ライフスタイル 80's

――ボードリヤールのエピゴーネン批判としての読み直し――〈反転〉でござるよ

(批判)思想=エコロジー←→浪費・快楽=ライフスタイル  cf,楽しく真剣(not深刻)
※エコロジー思想については、このエントリとかも参照。伊藤邦武『経済学の哲学』―エコロジーとエコノミー/裏地と織物 多分、國分さんは、以前のエコロジー思想を過小評価し過ぎ? その中のまともなものは、清貧というより、「中庸」を据えていたと思われる。


國分『暇倫』図式への再指摘by宇野

人間を画一化する装置に踊らされる(旧)→「発信」と「推し」=(応援と金銭) いわゆる所の"誠意と実弾"?
cf:前に読書会で取り上げた、ジョン・ガーズマ『スペンド・シフト ― <希望>をもたらす消費』 。そして、同系列の岡田斗司夫『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』 を参照。


「中間のもの」――依存症と決断主義

普通の人間の状態(人間的な状態)としての、退屈の第二形式。退屈と気晴らしの入り混じり、不純物。

依存症でいいのだ。by宇野 ~いいのか?by國分


交点――ソーシャルゲームは依存症?

ソーシャルゲーム、例えば……
モバマス、モゲマス、シンデマスで有名な、アイドルマスターシンデレラガールズ

>物語を見出すのに十分な、(過剰なほどの)物語群と、ファン間のコミュニケーションを持っている。(アイマスの蓄積)
>気付いている人がどれだけいるかはわからないが、システマティックに洗練されているがゆえに、意外にゲーム性高い(コストのシステム、スタドリ経済とか)

参考:アイドルマスターシンデレラガールズ@wikiWikipedia該当ページモバマスのまとめサイト
・個人的に、このページの海外のモバマスファンの反応がかわいいと思う。
・あと変なのは、すいません、モバマス初心者の自分に何故デバフ駄目なのかお教え頂けないでしょうか\(^o^)/ で、求められるがままに、「ゲーム理論」を使って説明しようとする謎の輩が現れるって話。

"消費"させる回路がそもそも衰退しているby宇野
"啓蒙"と言えば大仰だけど、面白い!を感じる、楽しむための訓練がい要る(まだ、"消費"はヤバいし、批判すべき対象)by國分


メモ)

國分さんについて。
結局、〈本来性〉に囚われているか、そうでなければ、「楽しむ」の意味が混乱している。
ソシャゲに訓練が伴わないのだとしたら、柿ピーはなんなのだ()

宇野さんについて。
常に批判対象を過小評価し過ぎているし、評価対象を過大評価し過ぎる。

『VocaloCritique』vol.5でも取り上げたが、マイナビニュースの「初音ミクって何かわかる?」とのアンケート結果が25%だったという2012年の記事があってですね。
そのまま、自分の論考引用しますね。
「読み物と割り切れば参考になる。驚くほど、『初音ミクなにそれ?』状態の人が多い。……初音ミクはスマップでも、明石家さんまでもなければ、黒柳徹子でもありません。だから、まだまだずっとマイナーなのだと言うべきなのでしょう。」p.72
無視できるほど衰退しているのだとしたら、ステマがこれほど話題になり、反応されるべきものとされるでしょうか。(最近ならペニーオークションの件とか)


ちなみに、1月25日17:25分現在↓
「みっくみっくにしてあげる♪」(short ver.)はニコ・つべで、13002155再生。
「みんなみっくみっくにしてあげる♪」は、1034196再生。
Tell Your Worldは、6296510再生。(ニコ動にはlivetuneが投稿していないので最も再生数の高いものを一つ)

もちろん派生動画とか色々あるわけだけど、多くてもたかだか一千万再生ですよ。
こんなこと、ボカロ廃が言っちゃってますけど。
あっ、そういや最近、伊集院静・中居正広・ビートたけしが初音ミクの話をテレビでやったらしいですね。



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