2013年4月26日金曜日

ユーストみたいに、坂上秋成『惜日のアリス』について語ること

・書店と本の話

坂上秋成さんが小説を出すということで、『惜日のアリス』を買った。

坂上秋成の初小説『惜日のアリス』が4月12日に河出書房新社から刊行
『惜日のアリス』刊行記念 坂上秋成×佐藤純一対談
『惜日のアリス』を読むための3冊(坂上さん自身によるチョイス)

この本を手に入れるのに、ちょっと苦労した。これは大体、京都の書店事情のせい。
京都は次々と書店が閉まっている。三条の紀伊國屋書店が閉店し、今年の1月で、河原町通のジュンク堂書店も閉まった。京都大学最寄りの書店である、レブン書房の後にはすぐに王将が入った。

紀伊國屋書店 MOVIX京都店 2011年9月30日(金)閉店
「ジュンク堂京都BAL店」1月末閉店、2015年春に再開業の予定
レブン書房閉店 80年以上の歴史に幕(2012.07.16)

とはいえ、創造都市・京都なので、未だに沢山あるのはあるのですが……。
何が困るって、研究書(人文社会自然科学の別を問わず)を沢山用意している書店がなくなることなんですよね。
他にも、宇野常寛さんが編集をやっているPlanets(惑星開発委員会)なんかは、今京都の書店で買うことはできなくなっちゃいました。ますます、Amazonに依存しちゃいますよね、こんなのじゃ。

……いつものように話が逸れました。
小説についても似たことが言えます。超ビッグタイトル(司馬遼太郎とか、村上春樹とか)は、どこの書店にもあるのですが、新刊だろうとなんだろうと、見つからないことって結構あります。
『惜日のアリス』も全然見つかりませんでした。なので、結局注文するはめに。
村上春樹の『色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年』も一緒に買いました。

なんでこんなことから書き出しているかというと、「ニュースの深層 伝説の編集者に聞く」ゲスト松岡正剛を聞きながら、書いているからですね。


「今、インターネット書店、通販の整備によって、本が探しやすくなってしまって、本のタイトルさえわかっていれば、一分ぐらいで買えてしまう。僕が高校生くらいの頃は、目的のものを買うっていうよりは、目的とは違うものとの出会いの場でもあった」(東浩紀)
この後に語られるのは、松丸本舗(松岡正剛が演出している書店)のこと。
Amazonのレコメンドは統計であって、「これを買った多くの人は、これを買っている」という客観的情報でしかない。その一方で、松丸本舗は松岡正剛の主観に基づいて、ジャンルではなく「意味」で本がカテゴライズされている。それは、松岡正剛の主観で分類しているということだ。
東浩紀は、語りの締めくくりにこう言います。
「ある一人の人間の主観によって作られた世界に触れるってことは、来店者が『他者』に触れるってことでもある」
本に出会うことは他者に出会うことでもあるわけです。
『惜日のアリス』を読んで、改めてそのことを考えさせられましたね。

自分が積極的に関わっている関西クラスタで、レコメンド書評リレーをしようという話もあったりして、そんなことも思い出していました。個人が主観的に仲間に薦めた本について、その人がまた主観的な言葉を残す。
さて、どんなものになるかは、その時を待たないとわかりませんが(´・ω・`)笑

松丸本舗についてはこちらを↓
松岡正剛『松丸本舗主義 奇蹟の本屋、3年間の挑戦。』
松岡正剛さん『松丸本舗主義 奇蹟の本屋、3年間の挑戦。』


・「面白かった」について


いよいよ話が逸れてますね……。
『惜日のアリス』、表紙は中村明日美子さん。中村明日美子らしい本って他にも沢山あるのですが、個人的には『鉄道少女漫画』が一番好きです。

小説本編の語りは、とても虚構的で、西尾維新のキャラクターみたいな話し方をする人が、日常には存在しないように、「芝居がかっ」ています。
大した共通点でもありませんが、村上春樹も演劇みたい。見られていることを意識しているみたいに、自分の振る舞いを飾っている。あの劇場性って、SNSや生放送で自分の生活情報を晒す時のみたいですよね。



中村明日美子さんで言うと、表紙絵の真ん中の少女は、帯を取ると結構頭身が奇妙で、ちょっと象徴的だなぁとか思ったりもした。

どんどん話が逸れてますね。いつものように、推敲も計画もせずに書いている上に、今は寝起きだからです。

結論から言えば、「結構」面白かったです。
いや、「かなり」面白かったです、と言うべきなのかもしれません。
「面白かった」というどうにもならない言葉の前にどういう副詞を付けるべきなのかは、まだわかっていませんが、とてもいい読書でした。
人にも安心して薦められる。


読書における「面白かった」という言葉は、ボカロ文化における「ミクさんマジ天使」という言葉に似ている。
誰も特権的な地位に立つことはできないから(誰も本や読書に関する現象や事実を網羅することはもはやできない)、それくらいしか言うことはできない。
だから、初音ミクについて、踏み込んだ言葉を語ろうとする時には、ある曲(具体的なコンテンツ)について語るしかなかったり、気がつけばボーカロイドではなくて、ボーカロイドを通してクリエイターについて語っていたりする。
全体について語ろうとする度に、その共同体の具体的な誰か(他者)や、具体的な誰かの世界について、言葉を紡いでいる。……それって、いいなーと思うのです。

・小説家、坂上秋成について


やばいw いよいよ関係ない話に……w

話を戻しますね。

失礼を承知で言えば(褒め言葉なので、内心失礼だとも思っていませんが)、批評家能力よりも、小説を書く能力の方が、間違いなく高いと思う。少なくとも、現時点では。(かなり誤解を招きかねない言い方ですけど)
批評家が書く物語は、面白くないことが多かった。これについては、坂上さん自身も言っていたことだった。
蓮實重彦の『陥没地帯』なんかは、そのわかりやすい(ダメな)例だと思う。あれよりもずっと、時代に向かい合っているし、ちゃんと「文学」だと私は断言できる。
そう、この小説は、「普通に」面白かった。
(『陥没地帯』もある意味ではちゃんと面白いけど、あれはどうにも狭いから。あの本を読み返す人は、『惜日のアリス』よりずっと少ないと思う。『惜日のアリス』は、ちゃんと誰かの心に残る本だと思う。)


別の観点からも話してみるかな。
この小説を読んでいる時に、「ああ、あの話か」と思うことが多かった。
私は坂上秋成マニアではないのでw 十分、詳しく知っているとは言えないと思う。とはいえ、坂上さんが消費してきたコンテンツや、前提としている文脈が、大まかにどんなものかはわかっている。
高橋源一郎然り、東浩紀然り、ピングドラム然り、中村明日美子然り……。

だから、この小説の背景にある(意図している)文脈を、結構知ってしまった上で、この小説を読んでしまった。
批評家だとか、編集にも携わっているとか、どこの誰とか知らないで、徒手空拳で読む人がうらやましいと思う。そういう人こそが、手にとってほしいと思う。
蓮實重彦の書いた小説は、「知らない人」には読めない小説だった。坂上さんの小説は、そうではない。むしろ、そうでない人にこそ、読む価値のある本だと思う。
そういう人が羨ましい。
知識を捨てて、文脈を捨てて読みたかったなぁ。
結構よく読めてしまったからこそ、全然よくわからない話として読めたらどんなのだったんだろうか、って思ってしまう。
ないものねだりなんですけどねw


・内容についてのメモ


この本の内容についてもっと具体的に触れるべきなのかなw
……そうですね。例えば、自分は、このレビューが一番好きです。

『惜日のアリス』というグルグル/失敗するための魔法陣
掛け値なしに面白いんです。ひとつの完成された読み物でした。
あとはこの辺り↓も面白かったです。

・『惜日のアリス』(坂上秋成・著)について(作家の今村友紀さん)
しょぼいクリエーターと付き合ったことある人にオススメ。素朴に読むか、読み込むか。坂上秋成『惜日のアリス』(Book News)
『惜日のアリス』と『lyrical sentence』のこと(佐藤さんのブログ。PVについてはこちらを参照)

算法寺という厄介な人物が出てくるのです。読書が好きだったり、批評を読んでいたり、創作に興味がある人間は特にそうだけど、万人が少なからず算法寺を心に持っている。
ほんの一滴かもしれないけれど、自分の中に算法寺を持っていて、だからこそ「くっそ、腹立つ」「イライラするなぁ」「うぜぇ」と思わされるのだと思う。
そんな風に、この物語の中の人物はみんな、少なからず「自分の鏡」で、それと同時に、自分の手のひらを越えていく「他者」でもありました。

合わせて触れるべきはマイノリティの問題かな。
多くの日本人が当たり前でないと思っている(錯覚している)ことが当たり前に描かれているということは、とても素敵だと思う。
ポストコロニアルとかのやっすい批評家の、「何々が描かれていない」式の批判って結構あったわけですが(黒人が主人公にならないとか)、そんな雑音も息をするように超えていける物語でした。

もう1つ思ったことがある。人物の性格について、「優しい」だとか、「こういうことをしてくれた」という描写をするよりも、USTREAMやAKB、安室奈美恵やボーカロイドでもいいけど、「こういうコンテンツが好きだ」と並べ立てられる方が、その人の感情や生活についての空想が簡単に生まれてしまうという事実に驚いた。
描写されない日常がどんなものか――そういう想像力が簡単に働く。
個人的にこれは発見だった。いや、改めて気付かされたというべきなのだろうけど。薄々みんな気付いていることだろうし。

長々と書いてますが、最後に一点だけ。
何度か出てくる印象的な言葉があります。
「ここは随分とあんたに優しい場所だね」

この小説を読んでいて思い出したのは、 吉田基己の『夏の前日』という漫画でした。
美大の、ちょっとだけ能力がある主人公(天才ではない)。塾で美大志望の学生を教える傍ら絵を書く。ノイズを嫌って誰かを突き放したり、孤独を感じて誰かを求めたりする。

「ありのままのあなたでいいよ」と気軽に全肯定して、一緒にダメになっていくことは結構ある。
この漫画も少なからずそうだし、「あなたに優しい場所」ってそういうことだと思う。
肯定しあって、痛いものから互いに守りあって、傷つかないで、変化もなくて、関係を続けるための努力もしないで、不満は我慢して、代わりに深い所まで自分を晒さないで、ある側面の自分しか見せないで――。

社会学者の開沼博さんが、福島第一原発観光地化計画や、フクシマの今後に関して何かを話す時によく「石を投げる」という言葉を使う。
「優しい場所」だけで生きている人は、石を投げることを忘れてしまうのかもしれない。石の投げ方も忘れるし、石を投げるという行為があったんだということもきっと忘れている。
人は、普通、大小複数のコミュニティに属しているから、その全てでそうある必要はないのだろうけれど、身につまされる話だと思った。
津田大介さんの言い方を借りれば、「寄り添いファシズム」でしょうか。
コミュニティや関係性を維持する時、石を投げることが必要なことだってある。誰かと関係を持っていて、それが自明化した時、私達は、関係の維持にはコスト(時間や努力、変化、妥協、我慢、石を投げること、精神的摩耗、お金などなど)が必要だってことを忘れてしまいがちですよね。
寄り添うだけでは、変えられないし、まさかの時には助け合えない。


いやー、案外この本について言いたいことが沢山あるなぁ。これでも言い尽くせない。このストーリーの美点は、読後に何か言いたくなることだと思う。不満かもしれないし、絶賛かもしれない。算法寺みたいな言葉かもしれないし、自己反省の吐露かもしれない。
とにかく、なにか言葉にしたくなる。



「虚構(If)を取り込む形で語られる現実」という体でこの小説は構成されているのだけれど、〈この現実〉を生きている私たちは、「(この)現実を取り込む形で語られている虚構」として、この本を読むべきなんだろうと思う。
どういうことかわからねーと思うが、騙されたと思って、いいから読んでくれw

虚構の世界は、存在しないものというよりも、「もうひとつの現実」だから、「この現実」が一滴染み込んだ物語として、小説を読めるんだろうな。


流石に、そろそろ書き疲れたからこの辺で。もっと言いたいことはあるんですけどね。PVとか、タイトルとか、名前のこととかw
またちゃんとレビューらしく書きます。
USTREAMで放送するように、だらだらと書きました。お付き合いありがとうございました。

とてもいい読書でした。小説家、坂上秋成にこれからも期待。


半分冗談、半分本気で呟いたこのツイート。
最後に椿いづみさんの『月刊少女野崎くん』を持ってきたのがポイントです( ー`дー´)キリッ
『夏の前日』で一緒に苦悩して、『月刊少女野崎くん』で笑い飛ばす。。みたいなw


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