2016年4月14日木曜日

大澤聡『批評メディア論』(岩波書店)序章及び一章のレジュメ


大澤聡さんを招いての読書会イベントの際のレジュメです。
結構詳細にまとめたので、そのまま公開することははばかられました。
ということで、結構無理な削除・圧縮を加えています。元の3~4分の1ほどの分量でしょうか。
話題がかなりデジタルに飛んでいるように見えるかもしれません。

いい本なので、ぜひ買って(借りて)読んでみてください。 
そうして読む際のサブテキストとして使っていただければと思います。



序章 編集批評論
1,商品としての言論 ギルドから市場へ

批評の経路依存性。「情報伝達は何らかの媒介=メディアを必要とする。例外はない。その形式こそが印象の大半を決定している」(p.10
言論全般が市場に流通する。「商品としての位相は言論や作品に拭いがたくつきまとう。こうした端的な非拘束性を忘れてはならない。……検討されるべきは言論の存在形式だ」(p.16


2,批評のマテリアリズム 課題設定
 
発表媒体は必ず誰かの手によって設計されている。「結果的に、書き手は読者を意識したかたちとなる」(p.18) 文字組みや文体、表記法、分量など諸々の条件を様式(スタイル)と呼ぶ。人が言論・批評と見做す際の判断基準は、こうした外的な要素=フォーマットの様態に深く根ざしている。
「読者の期待の地平において、形式は内容に先行する。事前に形式から内容が推測される。経験的な学習を積んだ成果としてそれは可能となっている。……じつのところ、内容など読まれてはいない。」(p.18-19)この自然化された制度は、フォーマット設計時の人為性や偶有性(初出環境)を意識から消去させる。
 

3,出版大衆化 円本・革命・スペクタクル
 全集ブーム、円本ブームなどを通じて、読書の大衆化が進む。マスとしての読者の誕生。雑誌では冊子の大容量化、媒体種の多様化が進む。
 →専門的読者までもが、時評類を手軽なマニュアルとして活用するようになる。専門家たちは、時評で得た知識や認識との距離感覚を素地に自らの意見を再組織するだろう。


4,ジャーナリズム論の時代 総合雑誌史
 1930年前後、ジャーナリズムを批評する言説が急増する。メディアによるモデルチェンジの試みと並行して、雑誌のスプリングボードとしてジャーナリズム論は要請された。
 
編輯批評読者の選好を導く要因に分析の焦点を絞った批評であり、編集者からも重宝された。当時の言論空間が自己修正的なオペレーションを備えていた証左と見ることができる。
今見れば、萌芽的なメディア論の着想が未完のままいくつも織り込まれている。


5,時限性と非属領性 本書の構成

・偶発的な条件のもとに、各種の記事ジャンルや出版形態が誕生する。それらは、「偶発ながら、連鎖的な転位と模倣の果てに公共性を書くとするにいたった。……そしてインフラとして機能した。以降、ほとんど意識されない。それらを本書では『批評メディア』と総称することにしよう。私たちはそのデザインワークの軌跡を追跡していく」(p.39)
・私たちが従事する作業は、「環境=条件」をひとつずつ炙り出し、数え上げていく試みに他ならない。


第一章 論壇時評論

1,論壇とはなにか 第一の問題設定
 「《論壇とはなにか》を熟思するところからはじめなければならない。私たちは、戦前期の論壇時評の初機能とその史的履歴とを整理・検証していく。……当面の課題は場=空間の『存立』要件の解析に設定される」(p.45-46)。


2,レジュメ的知性 総合雑誌の論壇時評
 出版の大衆化で、個別ジャンルに特化していた雑誌も総合雑誌に転じ、言論の多様化と複雑化が進行する。
 →膨大な議論の交通整理としての「論壇時評」。無形の論壇を可視化する。

論壇時評に関わる二つの転換
・「第一に、「社会時評」から「論壇時評」への転換。社会現象を臨床的に解説する形式から、社会現象を取り扱った論説群をメタレヴェルで整理する形式へと、時評のトレンドが転換した」(p.48)。
・「第二に、評価主体の固定方式から変動方式への転換。特定少数の思想家による恒常的な定点観測から、多数の批評家たちによる局所診断の集計へとモードが変成した」(p.49)。大知識人が全体性を代表しうる時代から、層状に存在する批評家たちが割拠する「小物群像の時代」へと変わった。


3,空間画定と再帰性 学芸欄の論壇時評
論壇時評が発明されることで、「論壇を(遡行的に)感知せんとするまなざしが作動したのである。その認識がゆるやかに共有される。結果として、論壇は言説的に構築されていく」(p.59

《「論壇」とはなにか》への三つの回答例
回答①|論壇構成要素の拡張力学。「論壇時評は自明視された境界上に侵襲作用を発生-促進させる。そうすることで、たえず複数領域の批評の配置=地図を組み替え続ける」(p.60
回答②|固有名の提示。巻頭論文を戸坂潤や本多謙三に書かせるべき(谷川徹三)。宇野弘蔵を論壇に!(大森)。
→結果としてリクルーティング/スクリーニングの機能を果たす。
回答③|アカデミズムの素養に裏付けられた器用な専門家たる、新世代の論客を批判し、全体性において捉える思想家・総合的知識人像を教導的に指示する議論(室伏高信)。
 →論壇時評での提言を論壇動向にフィードバックせんとする言説戦略。


4,メディア論の予感 相互批評の交叉点
 「批評は「書く」ことで成立するのではなく、他者に「批評される」ことによって円環を結び、はじめて成立する。……この批評行為の無限連鎖は連鎖の過程においてそのつど空間=場を出来させる。その空間はときに「論壇」と名指されもするだろう」(p.65)。
 →空間の外延を規定する審級は、例えば論壇時評にの動作に見出すことができる。メタレヴェルから批評テクスト感の相互参照の体系を抽出・明示する動作である。
 →そうして、個別領域へと分極化した立論を立体的に再縫合=編集する場として論壇時評は機能する。
 

5,消滅と転生 自己準拠的なシステム
 
 新聞メディアは雑誌以上に、大衆的な普及性を持つ。それゆえ、雑誌以上に(とりわけ政局に関わる発言に対して)制限がかけられた。「現実領域の政策決定に言及する論説を扱う論壇時評も無関係ではいられない」(p.72)。
 二・二六事件後の情勢急変に応じて、新聞での論壇時評の常設が停止され、のちに不定期化。しばらくすると総合雑誌に論壇時評が復活する。『日本評論』では、匿名形式の論壇時評が長期連載される。……などなど、政治的動向と言論への制限なかで、論壇時評はメディア間を回遊することになる。

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