2013年9月24日火曜日

根本彰『理想の図書館とは何か:知の公共性をめぐって』――観光、まちづくり、ショッピングモール



院試も終わって、何か知識欲と興味のままに調べ物がしたいということで図書館(学)について色々調べていました。
まず蔵書を調べる中で気付いたのは、図書の分類において、図書館学・図書館・読書・本についての本は、情報に関する本と共に分類の最初の方にあること。
(これは図書館によって違うのかな?)
分類に思想が現れてるのかな、とか思ったり。この辺は気になった。

それはさておき。
今回の本は、根本彰『理想の図書館とは何か:知の公共性をめぐって』です。
これについての覚書は後に回すとして、図書館学について気付いたことを最初に挙げてしまいます。

・観光学とくらべて、随分丁寧に研究が行われている。司書養成などの都合からか、比べるとかなり体系的に見える。
・お題目のように学際性が訴えられる観光学とくらべて、(同じく学際性の要求される)図書館学は、題目抜きに、ちゃんと様々な分野からのアプローチが行われている印象。(教科書シリーズの巻数の多さ!)
・図書館学という学問の特性上、「現に図書館は存在するし、今後も存在するだろう」+「一般的に言って、図書館は必要とされているし、今後も必要とされる存在であり続けるだろう」みたいな共通認識がスタートにあること。(一切の反省がないというわけではい。「図書館は不要だ」という認識に立った図書館学は、そもそも学問である必要もないだろうし)

追記。
図書館不要を前提に図書館学は難しい、について。
不要を前提にすることは難しいでしょうが(この種のものは文化や歴史によってかなり定義が異なるので、何らかの形で生き残るだろうし)、宗教学・宗教論に宗教批判が存在するように、図書館批判は存在するし、存在し得ると思います。

大抵、宗教批判は、理念・理想としての宗教と、制度化された宗教・現実の宗教との相克において捉え、前者に立ち返りながら、「もっと熱くなれよ!」と語るタイプのものです。
同種の議論は、図書館学でも多く存在することでしょう。
宗教批判については、こちら参照。

この点面白いのは、図書館に関する書物は、図書館が意識的に買う傾向にあるそうです。一般に受容がなくても、図書館に関する本が、結構出版点数があるのはこういう理由があるのだとか(最終章参照)。


とりあえず、ぱっと気付いたことは以上。




『理想の図書館とは何か:知の公共性をめぐって』

目次
はしがき
第一部 図書館を考えるための枠組み
 第一章 日本の情報管理
  コラム1 図書館の新しいイメージ
 第二章 図書館、知の大海に乗り出すためのツール
  コラム2 ヤマニ書房の思い出
 第三章 交流の場、図書館――日本での可能性――
  コラム3 出版文化と図書館
 第四章 「場所としての図書館」をめぐる議論
  コラム4 青森の図書館を訪れて
 第五章 図書館における情報通信技術の活用
  コラム5 ソウルから
第二部 公立図書館論の展開
 第六章 公立図書館について考える――ハコか、働きか――
  コラム6 豊田市図書館と名護市率図書館
 第七章 貸出サービス論批判――1970年代以降の公立図書館をどう評価するか――
  コラム7 いわきの図書館に注文する
 第八章 地域で展開する公立図書館サービス――続・貸出サービス論批判――
  コラム8 いわきの図書館はどうなったか
 第九章 公共図書館学とポスト福祉国家型サービス論
 補章 「図書館奉仕」vs.「サービス経済」

本当は節タイトルまで書けば、もっと魅力的に見えるのですがめんどくさいので割愛。
有川浩『図書館戦争』や、エジプトの新アレクサンドリア図書館藤原正彦の『国家の品格』や齋藤孝の読書術系のアレ(三色ボールペン声に出して読みたい)、公共貸与権、大英博物館、六本木ヒルズの会員制図書館など、キャッチーだったり、流行した概念にもちゃんと触れていることが手に取った最大の理由でした。(出版自体は2011年の夏ですが、論考の発表年度は2000年初めから2010年くらいまでです)
お高く止まらずに、こういうことにもちゃんと目配せしつつ、持論を展開するのは学識者として当然のことだと思うので。

それに、筆者は、キャッチーな所から説き起こして、本論に繋げていくのが結構うまい。



追記。
公共貸与権は日本では例のごとく曲解されているようです。詳しくは本文の他、この辺りをご覧ください(誤解も含めて、主要な扱いをピックアップ)

動向レビュー:英国における公貸権制度の最新動向―「デジタル経済法2010」との関連で / カオリ・リチャーズ
動向レビュー:公共貸与権をめぐる国際動向 / 南亮一
英政府「図書館での電子書籍貸し出しは公共貸与権の対象」と作家団体に公式伝達
著作権をめぐる最近の動向
公共貸与権にかんするメモ~新武雄市図書館を例に~

筆者曰く。図書館も出版社も著者も、出版文化を共に形成していく仲間であり担い手。利益を奪いあいう関係ではない。……という認識ありきなのだそうで。
保証も政府が、そして図書館業務に支障のない限りでの話だそうです。
日本は日本だ!!と言うのは簡単ですが、知った上で言うのと、知ったかして言うのと、知らないで言うのは全部違いますよね。


図書館の理念の変化


図書館の理念は、設立者の理想、時代の理想に左右されている。日本の図書館理念の変化について、大体三つの転換点から筆者は捉えています。時系列に見ていきます。


1、自習の場としての図書館
・古い資料の保存
・第二の勉強部屋や書斎として
・知的で落ち着ける雰囲気を求めている
・科挙型の系統的カリキュラム(いわゆる「詰め込み式」)の影響
・立身出世主義など儒学の影響もあるのか

2、資料提供型の図書館
・資料の貸出と閲覧を中心とする
・自立した市民の「自己教育」の場(探索型カリキュラムとの呼応関係)
・ジャーナリストや著述家の図書館擁護論は、現に彼らが図書館に通って恩恵を被っている
・レファレンスと蔵書のお陰で、多様な観点から著述できる
(本文での例は、『思想としての日本近代建築』八束はじめ。個人的に覚えている例で言えば、『パラダイムとは何か  クーンの科学史革命』野家啓一が、謝辞で司書さんのレファレンスに言及していた。)
・1970年代以降のモデル。今新しくできる図書館は基本的にこのモデル。
・住民のニーズに即した蔵書(貸出数によって、図書館の指標とする)
・貸出サービス論を最初に打ち出した前川恒雄の目論見とは違って、単に流行の小説を集めるだけになりつつあるのではないかという危惧

3、地域文化志向の図書館
・これは、資料提供型図書館ないし貸出サービス論からのオルタナティブな選択肢として筆者が提出しているもの
・郷土資料の充実。地域の記事の切り抜きなどを行なっている所は元々結構ある。
・展示や出版物、イベントなどを通じた図書館からの情報発信
・地域文化の機関となる

といった感じです。
1だからといって、閲覧してないわけでもないですし、2だからといってイベントを一切しないわけでもなく、3だからといって流行の本を意識的に排除するわけでもない……ということは、一応付言します。

図書館と「まちづくり」、あるいは「ショッピングモール化」


3つめについては、「まちづくり」の文脈で語られることと同様ですね。「まちづくり」を考える時には、「~とまちづくり」みたいに対でイメージするといいかもしれません。
「観光とまちづくり」「図書館とまちづくり」……
結局、観光にしろ、図書館にしろ、街としてのプライド、地域のアイデンティティをどう作り出していくか、作り出していきたいかという問題に関わっているのだと思います。
(そもそも、観光地としての成功や、人口増加、雇用創出などの達成が実現する地域の方が少ないのですから、焦点が「シビックプライド」に移行するのは自然だと思います。)
チャーリーこと、鈴木謙介さんの新刊(『ウェブ社会のゆくえ』)にもシビックプライドの議論が紙面を割かれていましたが、この辺りの潮流を受けてのことなのだろうなと思います。


それから、2については本文で結構面白い紹介があります。

明らかに図書館サービスの手法に変化が見られる。「市民の図書館」は資料を借りて、自宅で読むことを強調したが、その手法は継承しながらも、施設を大型化し利用できる資料の幅を広げたり居心地をよくしたりすることで快適な公共施設であることを強調している。滞在型図書館あるいは居場所としての図書館などと呼ばれることもあるが、ここでは仮にアメニティ型図書館と呼んでおく。(根本彰『理想の図書館とは何か:知の公共性をめぐって』p138-139)

このすぐ後に、こんな話もあります。

「現在、良い図書館の要素としては、駅前や繁華街近くなどのアクセスしやすい場所、郊外の場合は広い駐車スペース、滞在して資料を利用するのに快適な施設、大きな開架スペースと豊富な新刊書供給、ビデオやCDの視聴やインターネット端末のりよう、貸出冊数の制限をつけずインターネットからも予約できる、というように、施設面を中心とした利用しやすさがきわめて重視されるようになっている。」(p139)

この辺りは、ショッピングモール(化)を特集している『思想地図β1』や、その成果を受けて書かれた速水健朗さんの『都市と消費とディズニーの夢  ショッピングモーライゼーションの時代』などの議論と明確に呼応するように思えます。
筆者である根本は、これを必ずしも好ましい傾向とみていません。
「知の公共性」とタイトルに入っていることからもわかることかと思いますが、消費としての読書を前提にした図書館、商業主義的な図書館は、害のあるものだと見ています。

消費としての読書それ自体は別段、いいも悪いもないのですが、知の公共性という観点から考えれば、望ましいと言えないのはその通りかもしれません。
資料収集に関する資金は不況でばっちり減っているという現状を踏まえれば、特に。




まぁ、覚書を作りたかっただけなので以上で。
読みやすいので、手にとっていいんじゃないかなと思います。
説教臭くもないし、経済的観点を常に考慮しているのは、とてもいいと思う。


図書館ってそもそも、自立した個人が自己教育の場として利用することを前提にしているっていうのが、改めて考えると面白いですよね。
一般的に言って、開かれた場でありながら、結構な「能力」を要求している。……とも受け取れるわけですから。
よく、生涯教育とはいいますが、「生涯教育としての図書館」と書いた所で何か明らかになるわけではありません。とはいえ、現実に様々な収入の人、様々な立場の人、年齢の人が訪れる場であるということは、ある地域の中に存在する図書館を見る時に、気に留めておいてもいいかもしれません。(この多様性は、ショッピングモールに関して言われることに少し似ています。もちろん、ショッピングモールの方が、図書館に比べて、地域をより「離陸」している傾向にあるとは思いますが)
卒論はジョン・デューイで書くのですが、彼が想定している市民もこういう市民だし、『学校と社会』『経験と教育』などでは、教育が地域社会にあるものを利用することが主張されるのですが、まさに図書館なんかはその典型例ですよね。
もう少し本気で考えるのもいいかな、と思いました。


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