2016年4月9日土曜日

思想の科学研究会編(1952)『デューイ研究』をざっくり紹介してみた。

最近、ジョン・デューイの小論「戦争の社会的帰結」(1917)を翻訳し、noteにて公開しました。
第一次世界大戦に際して発表されたもので、インタビューを基にした原稿です。
100円で公開してみたので、ご興味あればどうぞ。
解題などの解説は無料公開しています。


ところで、今回はある本についてご紹介したいと思います。

思想の科学研究会編(1952)『デューイ研究 アメリカ的考え方の批判』春秋社

古本では超高騰しているようです。
日本のデューイ研究史上では重要と言えるでしょうが、5000円も出してまで買う本かというとちょっとわからないですね。。
位置づけとしては、敗戦後に公刊されたデューイ研究の中で初めてデューイを多面的な角度から、しかも内在的かつ批判的に扱った研究書である、という感じでしょうか。
(当時はプラグマティズム批判といえば、マルクス主義や分析哲学からの批判が主だったと記憶しています)

目次はこんな感じ

まえがき
デューイの生涯と活動(p.3)……鶴見和子
第一部 知性はどういう仕組みを持つか ――知性の体系
 科学の把握(p.31)……武谷三男
 歴史の把握(p.40)……鶴見和子
 人間性の把握(p.63)……南博
第二部 知性はどう働かせたらいいか ――知性の展開
 進歩的教育――アメリカ教育学の自己批判――(p.77)……宮原誠一
 芸術批評(p.100)……桑原武夫
 人間主義の宗教(p.112)……岸本英夫
 コミュニケイション(p.129)……鶴見俊輔
第三部 デューイとアジア
 胡適とデューイ(p.173)……竹内好
 日本におけるデューイ(p.186)……鶴見和子
 デューイ解釈の場(p.200)……鶴見和子

日本戦後史に多少通じる方なら、執筆陣の適材適所感を共有していただけるかと思います。各人ウィキペディアあるくらいの人なので個々解説することはしません。

この本は若干適当なところもないではないのですが、絶版でアクセスできないのももったいないので、簡単に各章で論じられていることをまとめてご紹介してみたいと思います。

順に見ていきます。


各章の内容


1、「デューイの生涯と活動」鶴見和子

デューイの生涯にわたる特徴を、日常的経験ないしコモンネス(ありふれていること)の注目と、「異花受粉(cross-fertilization)」に鶴見は見ています。
後者の「異花受粉」は、今風に言うと「学際性」でしょうか。ディシプリンに囚われず、異種混合的な場で思索・実践したということです。
この学際性の指摘にあたって、デューイが哲学に見出した「批判」の役割に著者が言及していることは特筆すべきでしょう。デューイの「批判」は、近年スポットが当たり続けている概念です。

もう1つ興味深いのは、色々議論したあと、デューイの民主主義論でオチを作るという、デューイ研究の常套的な展開が既にここに見られることです。

実際は他にも色んな指摘がされているのですが、この章の概説という性質上、ここで留めておきます。


2、「科学の把握」武谷三男

本章を一言でいうと、こんな感じです。
「デューイは実在概念を認めていない」、また「デューイの考えには思惟と行動しかなく、対象はこの二つに解消されている」。

これは端的に誤読・誤解です。加賀裕郎(2009)『デューイ自然主義の生成と構造』晃洋書房などを参照のこと。


3、「歴史の把握」鶴見和子

議論が飛ぶので、掻い摘んで紹介します。

・プラグマティズムには歴史理論が欠けている(恐らく、マルクス主義的な歴史理論を念頭に置いている)
・プラグマティズムの社会理論を見ればわかるように、プラグマティズムの歴史観は個体に始まり個体に終わる(つまり、焦点は個人にある)
・とはいえ、史学において機能主義を唱えたフレデリック・J・ターナーのプラグマティックな歴史理論のようなものもある。(鶴見和子は若干ターナーの議論を紹介する)
・習慣概念に注目し、プラグマティズムの歴史理論を素描する。

そもそも、プラグマティズムが個人ないし個体に焦点を当てているかというと、微妙です。
例えば、習慣は、強く社会的な影響を受けているものですよね。また、デューイはしばしば「孤立した人間(man in isolation)」という発想、18,19世紀の個人概念を強く批判しています。


4、「人間性の把握」南博

デューイの『人間性と行為』で提示している習慣概念は、「あいにく、はっきりと規定されず、また、内容が観念的で、生きた社会的現実の分析に心を向けていなかった」(p.63)と南は指摘します。
(これは、同書が社会批評的であることの裏面であるとも指摘されていますが)

こういう考えから、南は検討の対象を「社会心理学の必要」(1917)に移します。

ジェイムズの『心理学の諸原理』、タルドの『模倣の法則』は同じ1890年に出版されており、「集団的人間の本性に関する、より科学的な研究が、社会的に要求されて来たこと、および、新しい社会科学を作るのに心理学が重要な役目を持って居ることが認識されはじめた」(p.65-6)というデューイの議論を紹介。

こんな感じで「社会心理学の必要」を紹介していくのですが、南の力点は、この論文に現われたデューイの関心を共有しつつ、かの抽象的で社会批評的な『人間性と行為』は読み解かれるべきだ、というものです。


5、「進歩的教育」宮原誠一

デューイの教育理論には、1919から1928年にかけての長期的な海外旅行――中国、トルコ、メキシコ、ソ連など――の多大なる影響がある。
デューイをアイコンとする進歩主義的教育は、児童中心主義的偏向があり、古い個人主義を助長した。しかし、これは、デューイの立場とは全く異なっている。
カウッツはデューイに先んじて進歩主義的教育を徹底的に批判した。また、この両者には、社会改善への力点を置いており、両者には共通性が見られる。


国内のデューイ研究は、ほとんどが教育学のものなので、この種の研究は今でもいくらでもアクセスできるかと思います。


6、「芸術批評」桑原武夫

桑原は『経験としての芸術』十三章の「批評と知覚」に注目しています。正直、どう評価していいのかわからない文章だったので、紹介も省略。


7、「人間主義の宗教」岸本英夫

岸本はデューイの宗教論を『誰でもの信仰』として訳していたりします。

本稿では、デューイの宗教論を宗教的ヒューマニズムの注目すべき思想として位置づけています。
そして、「理想追求のよろこび」としてそれを詳述し、キリスト教的基盤で育まれた思想だあ、「その基盤であるキリスト教を踏み越えて展開した」ものであり、「宗教的背景の如何を問わず、通用するような構造の、ヒューマニズム的宗教観を打ち立てた」と指摘する。(p.124-5)

こうしたヒューマニズム的宗教観は、「近代人であれば、誰にでも、通用する筈である」(p.125)という発想から、デューイの宗教論(A Common Faith)を『誰でもの信仰』と訳したでしょうね。

終盤での指摘は実に重要なものです。
デューイの描き出す「理想」は、形式的なものであり、一見内容が設定されていないようにも見える。けれども、それが「よきこと」と呼ばれ、「よきこと」は「人間の生活経験や、人間が現実に住む社会と密接につながって」おり、実際的かつ社会的なものとみなされている。(p.127-8)
この点は、仏教や神道と突き合わせたとき、仏教や神道が「現実性をもったよきことを理想とする態度が欠如している」ことと対照的に見えます。(p.128)


8、「コミュニケイション」鶴見俊輔

色々なことが言われていますが、要点は簡単。
デューイはコミュニケーションの哲学者である。
しかし、そのコミュニケーション概念はやや素朴なところがある。
実際のところ、コミュニケーションって、コミュニケーションとディスコミュニケーションの二側面あるんじゃないでしょうか。

以上。


この指摘は、デューイ理解のためよりも、鶴見俊輔の思想発展を考える上で重要です。
コミュニケーションのズレへの注目は、彼の漫画論(例えば「プラグマティズム発展概説」など)に現われていきます。

ちなみにこの章だけ、他の章の三倍くらいの分量があります。
力が入っているんでしょうね。
この論考に注目した鶴見俊輔論としては、吉見俊哉さんのものがあります(『アメリカの越え方』)。

9、「胡適とデューイ」竹内好

胡適はコロンビア大学時代のデューイに直接師事していました。1910-17年のことです。

「胡適という人は、思想的には、深いものをもっていない。幅はひろいが、奥行きはせまい」(p.175)という診断から、竹内は、さしあたり、胡適をプラグマティストではなく、アンシンクロペディストとして位置づけます。

余談ですが、胡適は「1915年の夏にデューイの全著作を読破」したそうです。(当時の流通と出版の問題を考えると、たぶん、「全著作」ではないと思うのですが)
胡適は思想史家的にデューイに影響を受けて、デューイ研究者となったのではなく、デューイから「方法」を学んだのだ、と述懐しているそうです。
「方法」というより、構えや態度と言った方がいいかもしれません。
そして、胡適は実際に、デューイの思想の実践的側面を受け継いで、近代国家たらんと胎動する中国の現場にコミットしていく。(この意味で、胡適はプラグマティストだと言えると竹内は指摘)

竹内の議論で興味深いのは、アジアにおけるプラグマティズム受容について語った以下の箇所です。
私は、プラグマティズムは、中国のような後進国に持ち込まれると無内容になる……と思う。無内容のために、革命の条件が成熟している場合は、導火線として働くが、その役目がおわれば捨てられる。したがって、革命の条件を欠いている日本の場合は、その形式性のために、イデオロギイとして働かないために、持ち込まれたのではないか。(p.181)

この議論の下にある発想は、「プラグマティズムは、一面においては、アメリカ的エネルギイの自己表現としての、革命の理論である。ヨオロッパの植民地から自力で自己を解放する過程において形成され、その延長として、未来に無限の可能性を開いている。いわゆるフロンティアの精神だ。過去を断絶していること、歴史の重荷を感じていないこと、一切が現在の必要にもとずいて〔ママ〕可塑的であること、絶対自力であること、これらの特徴は、……革命的である」(p.181)

実際のプラグマティズムの起源、発展史と照らし合わせたり、実際のプラグマティズムの思想家の思想と照らし合わせれば、色々微妙なところはあるのですが、論としては興味深いところがあります。(メナンド(2010)『メタフィジカル・クラブ』みすず書房、魚津郁夫(2006)『プラグマティズムの思想』ちくま文庫などを参照)

また、竹内はこう書いてもいます。
「デューイが中国に与えたものにくらべて、かれが中国から受け取ったものの萌芽、より大きかったようである」(p.183)。
「デューイが中国に触れて書いた時評的な文章をよむと、日本の自由主義者(たとえば吉野作造)の観察などはバカらしくなるほど正確な判断をくだしており、しかも、多くの場合は日本と比較しているので、今日でも、私たちにとって頗る有益である」(同)

竹内がこのとき念頭に置いている時評的な文章は、1929年のCharacters and Events--Popular Essays in Social and Political Philosophyだそうです。


10、「日本におけるデューイ」鶴見和子

さすがに飽きてきたので詳しい内容は割愛です。

「デューイを驚かせたことは、この国の世論には一貫性がないということだった」(p.186)

数多くのデューイによる日本評価を引用している鶴見和子は、その的確さに驚きを示しています。
鶴見和子は、1952年にも変わらず妥当する指摘が多く含まれていることに驚いているのですが、現代の私たちは、鶴見和子と同様の驚きを繰り返さなければならないこと驚くべきかもしれません。


11、「デューイ解釈の場」鶴見和子

本書で一番エモい文章はこれでしょう。
そう長くはありません。

思想の科学研究会で研究会を催してきたとき、近所の警察官が念のために訪問しに来たというエピソードを引きながら、思想というと、何か厄介で、面倒なものであるという通念の存在を指摘します。
そこでは、思想=危険思想と言ってよいようなものになっている。

鶴見和子は「概念くだき」という手法を提唱していますが、そこで示唆されてるのは、高踏的で難解なジャーゴンが重要なのではなく、むしろ日々の当たり前の生活に根ざしたものとして思想を受け取ろうという発想です。
じつはわたしたちは、『シソウ』というのは、わたしたちのひとりひとりが、わたしたち自身の歩いてゆく方向を、それぞれにえらび出すために、いろいろな方向について、かんがえる〔傍点〕ということだと思っているんです。(p.204)
デューイ解釈の場と題されてはいますが、実際のところ、思想の科学の、あるいは鶴見和子のマニフェストだというべき文章かもしれません。

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