2012年12月19日水曜日

レジュメ風レビュー、レベッカ・ソルニット『暗闇のなかの希望』

ジャーナリスト/批評家/作家のレベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit)。3,11以後、改めて話題になった「災害ユートピア」という本/概念。
彼女について簡単に知りたい場合は、以下を参照するといいと思う。

レベッカ・ソルニット来日講演 「災害ユートピア」から検証する3,11(YouTube)
・カリフォルニア大学バークリー校英文学専攻2005年度卒業生のための講演(06年)、「このあり得ない世界へ、ようこそ!」→以下の二箇所にあります。ひとつめふたつめ
英語Wikipediaの「レベッカ・ソルニットの項」

今回読むのは、『暗闇のなかの希望』です。ごく薄い(全部で250ページほどで、字も大きい)本です。今回は読みつつ、先を知らずにレジュメを作るつもりで書きます。どんな内容かも知らずに読んでます。文章はかなり「詩的」で、文章も論理的に整然としているわけではないようです。
けれど、訳文の努力もあってか、かなりリーダビリティは高い。
とりあえず、いつものように目次をば。多そうに見えるけれど、各章はごく短い。
エッセイじみていて、理論的でもないから、レジュメ化する心が折れる様もご覧になれると思います。あと、理念自体は同じでも、行動原理や現状認識にかなり相違があるので、平気で適当化してます。過渡な期待はしないでください。

日本のみなさんへ
1 暗闇を覗きこむ
2 視点を変えて語る
3 絶望と不満、あるいは壁と扉
4 わたしたちが勝ち取ったもの
5 千年紀の到来――1989年11月9日
6 千年紀の到来――1994年1日1日
7 千年紀の到来――1999年11月30日
8 千年紀の到来――2001年9月11日
9 千年紀の到来――2003年2月25日
10 変革のための想像力を変革する
11 直接行動の間接性について
12 天使が見せたもうひとつの歴史
13 カリブーのために処分するバイアグラ
14 失楽園
15 北米大陸分水嶺を超えて
16 イデオロギーの後に
17 グローバルなローカル
18 中断――世界が燃えている
19 テキサスの三倍大きな夢
20 疑い
21 世界の中心への旅
謝辞、注釈、訳者あとがき


日本のみなさんへ

この本は「仏教の気配」があると言われた。座禅をしている筆者。
→オリエンタリスティックな日本/東洋観? 多少ニューエイジ的?

「何が起こるか、わたしたちはまったく知らないという事実を抱きしめること――これが、わたしに何よりも身に染みる仏教の教えなのです。未来の不確かさが、希望の基盤になります。何が起こるかは、部分的にしろ、何をわたしたちがするのかによります」(p4)

静態的な既知の物語でなく、わたしたち自身が語り部として、自分自身の新しい物語を語ることを目指す。(物語自体は、陥れも、解き放ちもするものだが…)


序文にかなりの内容が現れていそう。


一章「暗闇を覗きこむ」

『ダロウェイ夫人』で有名なイギリスの女性作家、ヴァージニア・ウルフの引用から始まる。
「未来は暗闇に包まれている。概して、未来は暗闇であることが一番いいのではないかと考える」(彼女の日記、1915年)
「暗闇」=見通せない/予想外/未知という意味であって、恐ろしいということではない。
ex.ソ連崩壊、インターネット、南ア体制変革(ネルソン・マンデラ)、同性愛者の地位向上etc.

未来だけでなく、いまこの時さえ「暗闇」に包まれている。
→夢や理想は実現するという望みを持ち続けなければならない。同時に、世界は想像以上に奔放であると認識する必要がある。
未来も現在も「暗闇」=予想外

反戦にしろ、反核にしろ、女性の地位向上にしろ、活動は失敗し、失望が広がった。
しかし、本人達が活動に諦めを抱いたとしても、「予想外のことに」その活動に触発されて、新たな活動/理想が生まれることもある。
短期的な結果、影響関係も「暗闇」=予想外

歴史は軍隊の行進のように進歩するのではない。
長期的な結果、影響関係も「暗闇」=予想外

想像や希望によって、これらの「変化」ははじまる。希望とは、未来や欲求=「別の世界」の可能性に賭けること
希望のギャンブル性、冒険/危険性→恐怖と希望は対極

未来では、あらゆることが起こりうる。未来に自分を捧げる限りで現在に住まい、積極的に関心を持ってかかわることが大切。

※フーコーの晩年の講義『真理の勇気』における、「他界の生」(プラトン主義)と「別の生」(キュニコス主義との対比。キュニコス主義的系譜は、政治的革命やアヴァンギャルドとかに流れ込んでいる(批判力)。


二章「視点を変えて語る」

アルジェリアで05年に起きた自身の際の、少女エミリー・カイディの救出現場(右の写真)by写真家ジェローム・ドレ(※写真はここで拾った
直接アメリカに影響はないし、アメリカの責任ではないが、筆者は心打たれた。ニュース化すらされていない。

03年4月、米軍爆撃で自分の両腕、そして家族を奪われた12歳のイラク少年、アリ・イスマイル・アッバスとの共通点と差異。
周知の通り、アメリカの野蛮さと無慈悲さの象徴。

エミリーが象徴するのは、希望?=「過去の事象に反して生まれるものとしての、事象が方向を変えて未来へ向かうものとしての」by哲学者アルフォンソ・リンギス

生存のためには、美しい/快い対象よりも、危険/問題に向き合う必要がある→眼前の問題が全てではないと知った上で、それに向き合うことが、希望の行為になり得る。

未来の予測は、ある程度まで語り口で決まる(3つの語り口)
・暴力の勝利として→現状で停止する
・非暴力的活動の勝利として→物語は進む
・自発的/個人的勇気の試みとして→結末は誰にも知られない

世界には残虐さが満ちている。(眼前の問題ではない)エミリーの物語を経由することで、かえってアリ・アッバスへ共感が増す。

勝利と可能性を物語の両輪とする。
「膨大な形のないもの」=想像と実現に役立つ所の、権利/理念/概念/言葉を獲得してきた。

危機emaergencyという言葉は、出現するemaergeという意味が含まれるように、危険と可能性は姉妹関係にある。

※鈴木謙介の『SQ かかわりの知能指数』で言われる所の、近場の幸せで満足する人も、遠くの幸せで満足する人も、比較的不幸であり、最も幸福を感じる人は、友人・知人の協力で、近場プラスαの範囲、近場を少し越えた場所まで幸せにしようとする人だ……的なものに通じる。(遠景、中景、近景)
※リチャード・ローティのvocabulary論(大賀佑樹の『リベラルアイロニストの思想』が簡明)、伊藤計劃の言語観(特に『虐殺器官』の中で触れられるもの)
https://twitter.com/mircea_morning/status/279226132140814336
※リスク社会論に通じなくもない→ウルリッヒ・ベック『世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊』がわかりよい。


三章「絶望と不満、あるいは壁と扉」

ユートピア思想で有名な、エルンスト・ブロッホ『希望の原理』を引いて、(根拠の薄弱な)「偽りの希望」と「具体的に誠実な希望」を対比。
前者は、気力を失わせ、進んで剥奪に同意させ、嘘を黙認することになる。どちらも人を麻痺させるという点で、絶望に近い。
しかし、前者と異なり、絶望は解放の母になる。

「やみくもな希望」は、人を行動させず、人を待つだけの存在にさせる。
このような状況下では、ある「制度」や「場所」に絶望することで、解放への希求を生む。

左翼にありがちな、ピューリタン的陥穽=成果や結果よりも、アイデンティティの証明/己の徳目の提示に拘る。これはノンノン

「活動家」=世界を民主化し、力をわかち合い、多様さと複雑さ、人間と人間以外のものを護る特定の政治力を持って、直接的に関与することが重要。活動のあり方は無数にあり得る。
→「直接行動主義は、それ自体のうちにオルタナティブを構成し、中心部にある腐敗から視線をずらして、その周辺部や自分の側に見つかる奔放な可能性と主人公たちとに目を向けるから、希望を育むことができる」(p36)=草の根運動的デモクラシー
←→「行動を伴わない政治意識」…中心部だけに視線を向ける。

※ブロッホの思想は、解放の神学(南米とかでかなりキテた)とか、学生運動に影響を与えたとか。このブログに、ちょっと感想が書いてあった。
※哲学辞典とかに必ず書いてあるけど、「ユートピアにも色々類型があるよ!問題」も同時に考えると面白そう。


四章「わたしたちが勝ち取ったもの」

イラク戦争に対する反戦運動/平和活動での、失望や敗北→同時に、いくつかのことは達成している

・「恐怖と畏怖」作戦の中止
・2002年秋を境に、活動家は、「多様で筋の通った、社会を代表する勢力と見なされることが一般的」になった。(以前は、誰も代表せず、どうでもいい集団として描かれがちだった)
←活動に参加する行為は、ディープなものだけでなく、非常にカジュアルでアドホックなものも含まれている。広く連帯し、共にあると筆者は考えている。

直接行動が即効的な成果を出すのは稀だが、ブッシュ政権と癒着している戦争利権者を標的にし、メディアを通じて衆目に晒した。

ブッシュ=ブレア政権に対する、世界各地での反戦/反対行為による勝利。
←例えば03年、全世界七大陸全てで、1100~3000万の人びとがデモ行進。


五章「千年紀の到来――1989年11月9日」

・1960年代(※筆者は61年生まれ)
公民権運動の進展
WSP(女性のためのストライキ運動)が創設。全米100の地域、10万人の女性が参加。反核平和運動も。
レイチェル・カーソンの『沈黙の春』→エコロジーへの世界認識
人種差別、セクハラ、同性愛差別、その他の排除抑に関する情報源どころか、言葉すらなかった。
消費行動やライフスタイルの選択範囲もずっと狭かった。

~グローバリゼーションによる急速な変化(+/-)~

・89年~
ベルリンの壁崩壊
天安門事件、ネルソン・マンデラ釈放、東欧共産圏消滅→ソビエト崩壊、ポーランド「連帯」、ハンガリーとチェコスロヴァキアでの無血革命、「憲章七七」、ロックンロールが南米で誕生/拡散……

六章「千年紀の到来――1994年1月1日」

メキシコで最も貧しい地域とされる、南端のチアパス州でゲリラ軍、「サパティスタ」誕生
「第四世界」の復活宣言
→NAFTAなど、ネオリベへのラディカルな拒否(←※安易感。ネオリベ=グローバル化とか言ってる程度には筆者もナイーブ)

サパティスタの、体制とか理念の紹介
ジョージ・オーウェルが自ら義勇軍として参戦した所のスペイン内戦を記録した『カタロニア讃歌』の引用。

七章「千年紀の到来――1999年11月30日」

WTO体制への反対運動←「グローバル化恐怖症」(Global Phobia)とのレッテル(?)
むしろ、「地球規模の公正を目指す運動」(global justice movement)
シアトルでのWTO抗議デモについて何か書いてるサイト

八章「千年紀の到来――2001年9月11日」

「英雄的行為とは、多少なりとも無私の存在および行動を意味している。……戦時と災害時にこそ、このような英雄的行為がもっとも強烈に誘発される。……市民感覚に、社会への繋がりと関与の感覚だ。9,11から数ヶ月にわたり、わたしたちは、この国で市民意識の不思議な高揚を体験したのである」(p86)

※周知の事態である9,11についてあまり特別引用することはないけれど、上記の点は、まさに日本が3,11以後経験した事態ではないかと思う。
※冒頭で訳文褒めたけど、時々やばい。「もっとも穏やかな形において、英雄的資質がすなわちほかならない」(p36)とかマジで謎。

九章「千年紀の到来――2003年2月25日」

四章最後で触れた、地球上全ての大陸で行なわれた、イラク戦争反対のデモの話

十章「変革のための想像力を変革する」/十一章「直接行動の間接生について」
カット…

十二章「天使が見せたもうひとつの歴史」

訳文では『歴史哲学論』となっているけれど、普通は『歴史哲学テーゼ』(アドルノによる命名だった気がする)とか、『歴史の概念について』(岩波文庫の『ボードレール他』に収録)とか訳される。

ベンヤミンの「歴史の天使」を引用して、彼は悲劇的で固定的な歴史像を描いているのに対して、「わたしとしては、別の天使、喜劇の天使であり『もうひとつの歴史を見せる天使』を推薦」しようとする。
ベンヤミンの天使は、「歴史とは身に降りかかるものだと語る」が、もうひとつの歴史の天使は、「わたしたちの行動には意味がある、現実になったことも、ならなかったことも含めて、いつもわたしたちが歴史を作るのだと語る」

※ベンヤミンの『歴史の概念について』は、解釈可能性の幅が広いので、変な誤読にならないためには、彼の著作に広くあたった上で読み込む必要がある。筆者の理解は……正直どうかわかりませぬ。

十三章「カリブーのために処方するバイアグラ」

バイアグラが絶滅危惧種に効くよ!いや、まじで!


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すみません。力尽きました。以下は、概観ということで勘弁を。



確かに、これは、「暗闇のなかの希望」を語る本だった。
そして恐らく、この本の英語は、原語で読むと美文なんだろうなぁと思う。原文で読めばよかったな。。。あと、なにより、装丁とデザインがとても美麗で最高。本棚にあると素敵。これはモテる。
『暗闇のなかの希望』で恋人ができました(・ω<)ウソダヨ

適当なごまかしはこれくらいにして……。

いわゆる「ローカリズム」「ローカリゼーション」を真面目に、まともに、理論的に、そして何より、経済学的に有意味に語ることができている本は、それほど多くありません。
國分功一郎さんなんかは、こういうの好きだと思います。経済的な洞察が少ないので、特に。
決してトンデモ本ではありません。「ローカリズム」的な言説の中で、かなりまともかつ説得力ある部類のものだと思われます。
最後はものすごい速度で、パパっと読み終えてしまいましたが、同系列の本として、経済学者E.F.シューマッハー(1911~1977)の『スモール・イズ・ビューティフル』は、最もクリティカルな論考でありつつ、古典として未だに価値ある本だと思います。

 
(マルクス主義的にしろ、近代経済学的にしろ、)経済学的な洞察なしに思考されているという一点については、レベッカ・ソルニットに決して同意できません。
トレードに関して、自らも消費者であるということ、自らもインセンティブに従う主体であること、市場は企業や国など大きな組織の専制では必ずしもないこと、外国からの資本すら集まらないで取り残された途上国の惨状について何も語られていないこと……
事程左様に、経済的側面に関しては、学び始めの自分ですら簡単に批判ができます。
(レベッカ・ソルニットは、必ずしもグローバル化を否定していないという点は、明言しておきますね。)


しかし、震災を経て、選挙を経て、不況と貧困の最中にある日本人にとって、彼女のように、熱く希望を語る言葉は、ストレートに心に届くし、文章のリズムと相まって励ましになります。これは疑いようもありません。
そして何より、9,11を経た、アメリカ人としての彼女の言葉が、3,11以後の私たちの経験といかに符合するかを確認できたことで、彼女の語る「希望」とはまた別の回路から与えられた、不思議な安心感が得られました。

希望は、現在と未来が「暗闇」の中に置かれていることである。
私たちが、自らの行動――直接的な関与によって――において作っていけること。
……全く同意です。
しかし、そこから描く未来は、筆者とは違うようです。行動のための理論も、現状理解も彼女とは違う。文体の魅力にも関わらず、読みが一瞬滞ったのは、まさにこの相違がゆえでした。
……繰り返せば、國分功一郎さんなんかは、この本好きだと思います。あの人の考えに共感する人は、何度も読み返すくらいハマると思います。


最後に一点だけ。
文化左翼を経由したリベラルな、実存主義(特にサルトル的なアンガージュマン)と、どの程度差異化できているのか、あるいは同じものなのか――この辺りは、筆者もちゃんと書いてほしかったかな、と思います。
最初に書いてあるように、決して「理論的」でも、論理が整然としているわけでもありません。しかし、詩的で情感的で、読みやすいものでした。
野上弥生子が、ローマに留学する息子へ出した手紙を思い出しました。あれと同じにおいがします。岩波文庫の『野上弥生子随筆集』に入っていたと思います。

まぁ、いずれにしても、薄い本ですし、魅力がある本でした。

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