2015年4月15日水曜日

「戦争の不安について - 村上さんのところ」がちょっとおもしろかった。

 最近、イラク戦争、アフガニスタンでの戦争のことを思い返すことが多い。当時、「マッチョな怒号でかき消される」声のことを思いながら、森達也ばかり読んでいた覚えがあります。引用するような「怒号」とは種類が違うにしろ、去年末からのIS人質事件のように、荒唐無稽で直情的なアイデアが主流になることはこの社会によくあることだな、とは思います。
 ちょうど昨日、森達也の話をしたこともあるのですが、感情や直感の瞬発力とは別のところでじっくりと考える人でありたいと思います。大衆のひとりでしかないからこそ、できるだけ簡単に頭を他人に預けない努力をしたいとは思う。まぁ、そんな感じで、この村上春樹の回答を面白く読んだよーという話でした。
 なんていうか、戦争って、1945年以前の話じゃなくて、ほんの10年前にすら、嫌というほどみた景色だという事実を、改めて確認してもいいのかな、と。

≪僕がアメリカに住んでいるとき、ちょうどアメリカはいくつかの戦争に巻き込まれていました。湾岸戦争、アフガニスタンでの戦争、イラク戦争。そういうのを間近に見ていて思ったのは、いったん戦争に巻き込まれると、人はみんな多かれ少なかれ頭がおかしくなるんだ、ということでした。普段ならわかるはずのことが、わからなくなってしまう。
 とくにイラク戦争のときはひどかった。フランス政府はアメリカ軍の根拠不十分で一方的なイラク侵攻に疑義を呈したんだけど(ごく当然な疑義でした。実際に根拠はなかったのだから)、そのときのアメリカに蔓延した反仏感情はほとんど理不尽なものでした。一流新聞までもが「我々は第二次大戦でフランスをドイツ軍から解放しなければよかったんだ」みたいな下品きわまりない記事を載せました。普段のアメリカからすれば、ちょっとあり得ない暴言です。
 でもそんなことが実際に起こってしまう。「ちょっと待てよ。そこまでやるのはまずいよ」というまっとうな声が、マッチョな怒号の中にかき消されてしまいます。≫

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