2015年7月22日水曜日

学部一年時のゼミレジュメを見つけたので②

学部一年時のゼミレジュメを見つけたので①

同じ上山安敏さんの『法社会史』のレジュメです。


第五章 法律家と権力

1帝国裁判官層


英の法曹団(legal profession)や仏の法官貴族(noblesse de robe)のような統一的法曹階級が成立をみたのは、絶対王政の法政策の所産、つまり政治権力を背景とした形成であるの対し、ドイツの法曹階級(特に裁判者階級)の非力は、神聖ローマ帝国の権力的脆弱性、そしてその権力の領邦国家への最終的帰結による。

1‐1不毛の背景

帝国の観念的統一性b首府の欠如c帝国財政d皇帝からの独立e帝室裁判所の裁判管轄の縮小化f帝国法の不毛

中世的権威を持つ神聖ローマが掲げる、「ローマの再建」という理念を支えに持つが、現実では裁判官階級を支えるような政治的な力が帝国にはなかった(イタリア政策の失敗では諸侯に、ランデスホーハイトの突破口を与えた)。その結果、帝国の下での首府(や官庁)と帝国裁判所の非固定化を生み、法曹階級形成の結晶点にはならなかった。財政状況が悪い上に、租税政策の失敗で、判事の人員を確保しきれない。

英仏は経済的に国王から自立することで、特権的地位に立ち、国王の絶対性に挑戦したのに対し、ドイツでは、等族の企てによって、裁判所の皇帝からの独立がはかられたのだった。この中で帝室裁判所の裁判管轄も縮小された。1235年のマインツ帝国議会で裁判所の再編成をおこなったとき、裁判所は地方の慣習法に従って判決を出すようにと規定され、定まりつつあったローマ法=皇帝法=「書かれた法」という帝国法の路線は挫かれた。

(用語)
・マハト(macht)→力
・ランデスホーハイト→領主高権と訳される。貨幣鋳造権などと思われる。
・カンメル裁判所→本来は肯定や帝国の裁判所。しかし、等族と皇帝の妥協の産物であり、任命権も皇帝のみ持つのでなく、皇帝と等族から提案で、帝国議会の中から選ばれた。


1‐2学識性

帝室裁判所における学識裁判官b法曹育成機関cカンメル裁判所学派

裁判所の常置性を促し、多くの法廷を通じた組織層の形成を可能にするところの、学識的裁判官が独にできるのは、英仏に比べて非常に遅い。

イギリスの法曹学院(Inns of Courts)は実務弁護士を教授に迎え、普通法の法曹大学として、次代の育成に努めた。寄宿制による共同生活を通じて、一般教養・スポーツ・ダンス・社交術までをも含めた人格教育は、強い階級的連帯意識を育んだ。それに対し独では、帝あいつ裁判所の陪審員の私塾的教授などに限られ、いずれにせよ体系的な指導や制度を持たず、大学での教育への依存度を高めた。

帝室裁判所は帝国の中央制度としてはたらく資質をことごとく欠いたこともあって、判例拘束力は生まれなかった。しかし、帝室裁判所は和解法学者の見習所となり、実務の仕事を行う事が多くなった。「パンデクテンの現代的寛容」に関する学問も、帝室裁判所の実務家を中心として形成された。ドイツの帝室裁判所の法形成の原動力は、力や裁判管轄権ではなく、大学との人的交流を通じた連帯の中での傑出した個人の活動や、裁判官の著述活動である。16世紀以来のこの文筆活動は「カンメル法学(jurisprudentia cameralis)」の名の下に権威を獲得した。



2領邦裁判官層

2‐1官僚裁判官


16世紀の諸政策(近代的予算租税制の下での財政制度、傭兵制の下での軍事制度、特に宗教改革以後の宗教政策、重商主義による領邦産業政策)

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